
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「兵庫城」!荒木村重を破った池田恒興、花隈城を飲み込んで兵庫城をつくる…です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
天正8年(1580年)花隈城の戦いで荒木村重を打ち破った池田恒興は、その功により織田信長から兵庫の地を与えられました。
摂津国の太守となった恒興は、花隈城を廃城し、そこからわずか数km離れた兵庫津に新たな拠点「兵庫城」を築きました。
恒興は、兵庫城の築城にあたって、花隈城の石垣を解体し、それを運んで新城の資材に再利用しました。
このように、あえて手間のかかる工事をした背景には、単なる資材節約ではなく、村重の影を完全に消し去り、自らの支配を知らしめる意図があったと考えられます。
その後、豊臣秀吉の時代となると、恒興は美濃大垣城に移封され、当地は秀吉の直轄地となります。
江戸時代には尼崎藩の陣屋(出張所)として機能しましたが、明治期に入り兵庫港が拡張されると、兵庫城跡はなくなりました。
■城ぶらり
それでは、荒木村重を破った功臣・池田恒興が築いた兵庫城跡をぶら歩きしましょう。
荒木村重を追いやり、花隈城を壊して新たに兵庫城を築き、物理的にも歴史的にも村重を消し去った池田恒興。
しかしながら、その兵庫城もその後の開発で、建物などの遺構はほとんど無くなりました。
記録によれば、明治初期までは城跡が初代の兵庫県庁として使用され、伊藤博文が初代知事として赴任したそうです。
しかし間もなく兵庫港が大幅に改修され、かつての城跡は、新たに築かれた新川運河の下に眠ることとなりました。


当地を訪れても城跡の気配を感じることはできません。それでも運河の脇を歩くと、ここに兵庫城があったことを示す石碑が建っています。
それが、運河を臨む小道にひっそりと建つ「兵庫城跡」の石碑です。案内板には、兵庫城が花隈城の資材を加えて築かれたことが記されていました。


もう一つ、兵庫城跡を示すものがあります。それが、イオンモール神戸南の入口付近にある石垣です。
このイオンモールの場所もかつての兵庫城跡。モール建設にあたって発掘調査が行われ、それまで幻とされていた兵庫城の石垣や堀の遺構が発見されました。
調査で見つかった石垣遺構の大部分は、現在もイオンモールの地下に埋め戻される形で保存されています。
入口付近に展示されている石垣は、調査の際に出土した石材の一部を地上に運び出し、モニュメントとして組み直したもの。もしかしたら、花隈城の一部だったのかもしれませんね。


さて、花隈城を脱出し、毛利氏のもとに亡命した荒木村重のその後について触れておきましょう。
毛利氏のもとで隠遁していた村重ですが、本能寺の変で信長が横死すると、尾道から堺の地に戻り、茶人として歴史の表舞台に名を表します。
その名は、荒木道薫(どうくん)。ただ、妻子や家臣を犠牲にして自分だけが生き残ったことを恥じてか、彼は自らを「道糞(どうふん)」と称したとも伝えられています。
村重は、織田信長(1582年没、享年49)よりも、池田恒興(1584年没、享年49)よりも、長く生きました。
天正14年(1586年)、村重は堺で64歳の生涯を閉じました。その死に際は、かつての戦国大名の面影はなく、一人の茶人としての静かな旅立ちでした。
■基本情報
名称:兵庫城跡
住所:兵庫県神戸市兵庫区切戸町5−26
アクセス:神戸市営地下鉄「中央市場」駅から徒歩5分
開城時間:24時間








