こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、真田・北条の激戦の城跡、明徳寺城(みょうとくじじょう)です。
■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
明徳寺城は南北朝時代、会津の蘆名氏の来攻に備えて沼田氏が築いた天神山砦を改装したものと考えられます。
明徳年間(1390~94年)、僧の松庵が城郭の下に明徳寺を開山したことから、現在の名称が一般的となっています。
戦国期に入ると、沼田氏滅亡後の沼田は群雄割拠の場となり、上杉氏の統治を経て、1579年に北条氏が領有するところとなりました。
この地を虎視眈々と狙っていたのが、信州の真田昌幸です。昌幸は、吾妻の岩櫃城を拠点に、名胡桃・小川の両城を攻略。これに対し、北条方は明徳寺城に軍備を配し、名胡桃・小川両城に対峙します。
決戦は、翌1580年1月。真田昌幸が明徳寺城を急襲。
北条方を破ると、明徳寺城を手に入れ、城の補強を進めました。
その後、北条と真田の争いは、豊臣秀吉の仲介により沈着しますが、北条氏が不法に真田領の名胡桃城を攻略したことから、秀吉の小田原征伐が開始されます。
北条氏は滅亡、再び利根・沼田の地は真田氏の所領となりました。これにより、軍事拠点としての役割を終えた明徳寺城は廃城となりました。
■城ぶらり
それでは、真田対北条、激戦の城跡「明徳寺城」をぶら歩きしましょう。
地図を頼りにたどり着いた場所は、竹や木々が鬱蒼と生い茂る森…。
まったく城跡には見えません。辺りを見回して、少し開けた道に近づくと、城址の標柱がありました。
ここが明徳寺城寺の虎口(入口)ですね…。
虎口を進むと、その左側と右側に空堀の跡が見られます。
昔は、ここで敵を食い止めたんだろうなぁ…。いまは竹が所狭しと茂っています。
さらに進むと、両脇に土を盛ったと思われる土塁の跡。主郭の虎口です。
ここもたくさん兵を詰めていたんだろうな…。激戦の跡が偲ばれます。
主郭の虎口跡から歩みを進めていくと、一気に目の前が開けます。
ここが主郭です。奥にも土塁がつくられています。絶対防衛しないといけない場所ですね。
ところどころに、石の塊が埋まっています。
これは当時の城の遺構なのでしょうか…。何の案内もないので、詳細は分かりません。
さらに奥に進む道がありましたが、草ぼうぼうで断念しました。
案内が全くないので分かりませんでしたが、後で調べてみたら奥の道の先には水子地蔵尊があったようです。
城跡だと言われないと、単なる竹林。ただ、城跡だと分かると、想像力がふくらみます。
真田・北条の攻防の跡、明徳寺城。真田昌幸が急襲して奪い取りました。
ありがとう、明徳寺城! ありがとう、真田昌幸!
■基本情報
名称:明徳寺城(みょうとくじじょう)
所在地:群馬県利根郡みなかみ町後閑
アクセス:JR上越線・後閑駅から徒歩21分、関越自動車道・月夜野ICから18分