石田三成ゆかりの地「石田三成出生地」、秀吉との出会い"三献の茶"で知られる「観音寺」

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、石田三成ゆかりの地「石田三成出生地」、秀吉との出会い"三献の茶"で知られる「観音寺」です。

■石田三成

石田三成(いしだみつなり)。幼名、佐吉。
永禄3年(1560年)、近江国坂田郡石田村に生まれました。

長浜城主となった羽柴秀吉に仕官し、秀吉に気に入られて小姓となります。
織田信長が本能寺の変で落命すると、次の天下人を狙う秀吉を支え、自身も次第に台頭していきました。

秀吉が柴田勝家と雌雄を決した賤ケ岳の戦いでは、勝家軍の動向を探る偵察行動を担当、その勝利に大きく貢献します。
さらに上杉景勝の臣従や九州平定などでは外交や物資補給を任され、秀吉の天下統一に重要な役割を果たしました。

そうした功績もあって、三成は秀吉政権の実務を担う奉行職に就任。天下人・秀吉の側近として政権運営の要を担います。
三成がめざすのは豊臣政権の永続。やがて秀吉が没すると、後を継ぐ秀頼の政権を盤石なものにしようと、対抗と目される徳川家康の前に立ちはだかるのです。

■石田三成出生地

秀吉亡き後、家康の前に立ちはだかった武将、石田三成
今日は、その三成の出生地などゆかりの地を訪れましょう。

石田三成、幼名「佐吉」が生まれたのは、近江国坂田郡石田村。現在の滋賀県長浜市石田町です。
その屋敷跡は「石田三成出生地」として、三成ファンはじめ歴史愛好家が多く訪れる場所となっています。

当地には、三成の生い立ちや功績などさまざまな史料を展示する石田会館が建ちます。
また、三成の銅像や「石田治部少輔出生地」と刻まれた石碑もあります。まさに三成ファンの聖地…。

三成はここで石田正継の三男として生まれ、後に秀吉が長浜城主になった頃に仕官。
小姓として近侍すると、秀吉に認められ才能を開花、側近として大きな活躍をみせました。

■観音寺

その秀吉と三成がはじめて出会ったとされる場所が、滋賀県米原市にある観音寺です。
2人の出会いを伝える「三献の茶」の逸話の舞台とされる場所です。

当時、長浜城主だった秀吉が鷹狩りの帰りに観音寺に立ち寄りました。
のどが渇いた秀吉がお茶を所望すると、このとき寺の小僧をしていた三成は…。

一杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を差し出しました。
まずぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後の熱い茶を十分味わわせようとするきめ細かな心遣いに感服した秀吉は三成を家臣とした…そんな逸話です。

真偽については定かではありませんが、そのお茶の水をくんだとされる古井戸が当地に残ります。
この逸話に残る通り、三成と言えば才ある智将というイメージ…。その三成が、秀吉亡き後の豊臣政権を守るべく、家康の前に立ちはだかったのです。

果して、家康と三成の対立の行方は…?秀吉亡き後の日の本を治めるのは誰か…。
続きはまた、当ブログ「夢中図書館 いざ城ぶら」にて綴っていきたいと思います。

■基本情報

【石田三成出生地】
住所:滋賀県長浜市石田町575
アクセス:JR長浜駅からバスで20分

【観音寺】
住所:滋賀県米原市朝日1342
アクセス:JR長浜駅からバスで20分

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