城ぶら「高槻城」!忠義か信仰か…キリシタン大名・高山右近が下した苦渋の決断

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「高槻城」!忠義か信仰か…キリシタン大名・高山右近が下した苦渋の決断です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

摂津国高山庄を拠点とする土豪・高山氏。戦国期にその当主となった高山右近は、父・飛騨守とともに荒木村重の配下となり高槻城に入りました。
彼らは熱心なキリシタンで、城下には教会が建ち、領民の多くがキリスト教徒だったと伝えられています。

天正6年(1578年)、荒木村重が織田信長に反旗を翻します。右近は、これを翻意させようと妹や息子を人質に差し出し説得するも失敗…。
激怒した信長は高槻城を包囲すると、「降伏しなければ摂津中のキリスト教徒を皆殺しにする」と脅しをかけます。

悩み抜いた末、右近は驚くべき行動に出ます。彼は密かに高槻城を出ると、死ぬ覚悟を決めて、剃髪・白装束(死装束)姿で信長の本陣を訪れました。
冷酷な信長もその潔さと覚悟に感銘を受け、右近に着ていた小袖と馬、そして摂津・芥川郡を所領として与えました。

こうして高槻城は信長の軍門に降りました。結局、徹底抗戦を唱え有岡城に入った飛騨守を含む人質も右近自身も、処刑されることはありませんでした。
この高槻城の無血開城は、ドミノ倒しのように周囲に影響を与え、村重は完全に孤立。有岡城の戦いは実質的な決着へと向かうことになったのです。

■城ぶらり

それでは、村重への忠義か人質とキリシタンの命か、懊悩した武将・高山右近ゆかりの高槻城跡をぶら歩きしましょう。
高槻城跡は現在、「高槻城公園」として整備され、歴史の記憶が大切に守られています。

公園の入り口近くには、十字架を胸に抱いた高山右近の像が立っています。
彫刻家・西森方昭氏によるこの像は、右近の誠実さと苦悩が伝わってくるような表情をしています。彼が守ろうとした信仰と領民の思いに、凛と背筋が伸びる思いがしました。

その高山右近像のすぐ近く、本丸跡には模擬天守台が建造されています。
当時の高槻城の石垣は、近くを走る東海道線の鉄道敷設用材として転用されたため、遺構はほとんど残っていません。
それでも、かつては周囲に広大な堀が巡らされていたとすると、信長軍も攻めあぐねた難攻不落の城であったことが想像できます。

そんな当時の面影を想起させるような建物が、2023年にオープンした「高槻城公園芸術文化劇場」です。
建物の外周には城の堀をイメージした水辺や、石垣を思わせる壁面があり、現代のデザインと歴史が融合しています。
お城ファンとしては、こうして形を変えても「城の記憶」が街に残り続けていることが嬉しく感じます。

城の記憶とともに、一人の武将の名も後世に刻まれます。信仰と忠義の間で揺れ動いたキリシタン大名・高山右近
あの日の右近の決断に思いを馳せると、美しい公園の風景はあなたの目にどんな風に映るでしょうか…。

今日の夢中は、城ぶら「高槻城」!忠義か信仰か…キリシタン大名・高山右近が下した苦渋の決断でした。
ありがとう、高槻城! ありがとう、高山右近! 次回も荒木村重ゆかりの史跡を訪れます。

■基本情報

名称:高槻城跡(高槻城公園)
住所:大阪府高槻市城内町3
アクセス:阪急「高槻市駅」から徒歩約10分、JR「高槻駅」から徒歩約15分
開城時間:7:00~23:00

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