こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、家康を辿る城旅「堀江城」!なぜ家康は出陣したのか?三方ヶ原開戦の鍵を握った城へ…です。
■なぜ家康は出陣したのか?
家康が人生最大の敗北を喫した三方ヶ原の戦い。
家康は果敢に城を打って出ましたが、待ち構えていた信玄軍に木端微塵に粉砕されました。
そもそも両者には圧倒的な兵力差がありました。兵力で劣る家康は籠城戦の準備を進めていたといわれます。
しかし、突如として城を出る決断を下します。なぜ家康は籠城ではなく出陣を選んだのでしょうか。
通説では、信玄の挑発(浜松城を素通りされたこと)に乗ったとされていますが、ほかにも様々な説があります。
たとえば、家臣や国人衆たちの信頼を得るために出陣せざるをえなかったという説や、祝田の坂を利用し一撃離脱を図ったという説などです。
そのような中で、近年注目されている新説があります。
それは歴史学者の平山優さんが唱えているもので、信玄の狙いは浜松城ではなく、浜名湖畔に建つ「堀江城」にあったというものです。
浜松城の兵糧は浜名湖水運に大きく依存しており、堀江城はその要を担う重要な城でした。
堀江城を攻略されると、尾張・三河からの補給は断たれ、浜松城は完全に孤立…戦わずして干上がってしまいます。
これに気づいた家康は、圧倒的な不利を承知のうえで、城を打って出ざるを得ませんでした。
座して死を待つよりは出て活路を見出そうという判断か…。しかし、それは信玄の望むところ。待ち構えた信玄軍により家康軍は粉砕されました。
■堀江城
恐るべし、武田信玄…。浜松城の弱点が堀江城にあることを見抜いたのでしょうか…。
実際に戦いの翌日から武田軍は堀江城の攻撃を開始しています(悪天候のため撤退)。
今日は、そんな「三方ヶ原の戦い」新説の舞台である「堀江城」を訪れましょう。
堀江城は先述のとおり、三河と浜松城を結ぶ浜名湖水運の拠点。浜名湖畔にかつては城がありました。
現在は、遊園地浜名湖パルパルや旅館ホテル九重の敷地になっており、遺構は残っていません。
当地を訪れると観覧車などがあり、今はなんとものどかな雰囲気。とても家康と信玄が互いに重要視した場所とは思えません。
(遊園地浜名湖パルパル)
しかし、確かにすぐ近くに浜名湖があり、当時の家康の勢力圏である三河と遠江という地形を考えると、ここはほぼ中心。
しかも三河と遠江の物資輸送の中心も浜名湖水運が担っていました。ここに目を付けるとは、ほんと信玄って軍略の天才ですね…。
(浜名湖畔)
近くの館山寺を訪れると、眼下に浜名湖を見渡すことができます。
浜名湖って結構大きいんですよね…。水運が発達したというのもよく分かります。堀江城は浜名湖に突き出す半島部に築かれ、その水運を監視・掌握していたものと思われます。
(館山寺からの風景)
堀江城に目を向けるところを含め、こと軍事に関しては信玄に一日の長があるように思えます。
結果として、信玄に敗れた家康は領土の三分の二近くを武田方に奪われました。それはややもすると戦国大名・家康の前途を断つような敗戦だったのです。
果たして家康の運命はいかに?それはまた、次回の「夢中図書館 いざ城ぶら」で語ることにしましょう。
■基本情報
名称:堀江城跡
住所:静岡県浜松市西区舘山寺町1891
アクセス:浜松駅からバス45分または車