信長"天下布武"の象徴「安土城」!大手道や天守跡など圧巻の王城跡

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、信長"天下布武"の象徴「安土城」!大手道や天守跡など圧巻の王城跡です。

■家康を辿る物語

天正10年(1582年)3月、武田氏を滅ぼした織田信長。翌4月、甲州からの凱旋の途上、徳川家康から手厚いもてなしを受けます。
家康の信長接待「富士遊覧」。これにいたく満足した信長は、その礼として家康を安土城に招きます。

安土城は、天下布武の象徴として信長が築いた巨大絢爛な城でした。
同年5月、家康一行が安土に到着します。信長は家臣たちに丁重に家康を接待することを命じました。

なかでも、家康の安土饗応を一任されたのが、織田家臣団の重臣・明智光秀でした。
光秀は家康をもてなすために、宴を豪華に彩る調度品集めに奔走、京都・堺などから珍しい食物を集めました。準備は万端…。

しかし接待当日、思わぬ事態が起きます。用意した魚が、夏の暑さで腐っていたというのです。
信長は烈火のごとく激怒、光秀を折檻すると饗応役を解任。光秀に中国地方への出陣を命じました。

その後の接待はおおむね滞りなく進み、家康は信長の勧めで大阪堺の見物に向かいます。
そして後を追うように信長自身も上洛、滞在先の本能寺へ入りました。その信長の動きを注視する人物がいました。饗応役を解かれた明智光秀でした。

■安土城

今日は、天下統一を目前とした織田信長が築いた城へ…。
天下布武の象徴「安土城」を訪れます。

(安土城入山口)

築城は天正4年(1576年)頃。宿敵・武田氏を滅ぼし、朝廷から権大納言の官位を得た信長。
天下人たる権威を誇るように築いたのが、壮麗絢爛な安土城でした。

地下1階地上6階建て、天主の高さは約32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で見る者を圧倒させたと言われています。
信長は岐阜城から京に近い安土に居城を移すと、ここから天下を睥睨するかのように、天守の頂に起居しました。

(現在の安土山頂付近からの眺望)

その前代未聞の巨大天守は、残念ながら現存していません…。
本能寺の変の後、何らかの原因(明智光秀軍説や織田信雄軍説など諸説あり)で焼失、その後廃城となりました。

現在は石垣などの遺構が残るのみですが、それでもその遺構だけで圧巻…。
当時の安土城の巨大さや信長の絶大な権勢をはかり知れるものとなっています。

■大手道から天守跡へ

安土城跡に足を踏み入れると、目に前にまっすぐ伸びるのが「大手道」です。
城の正面口。道幅は約6m、およそ180mにわたって直線上に石段が続いています。

(大手道)

これほど開放的な大手口があっていいの…。信長の自信と革新性がうかがい知れます。
実は防御も万端。大手道の両側には羽柴秀吉や前田利家ら家臣の邸宅がありました。いざというときは家臣団が大手口に立ち塞がったのでしょうね。

(左:羽柴秀吉邸跡、右:前田利家邸跡)

さらに石段を進んでいくと、主郭部分に通じる「黒金門」と呼ばれる門の跡があります。
こちらは道が幾重にも折れ曲がっていて、敵の侵入を防ぐ桝形虎口の構造をなしています。

(黒金門跡)

黒金門を進んで「二の丸跡」へ…。そこには織田信長の本廟があります。
後に羽柴秀吉によって建立されたもの。信長の太刀や烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟としたと伝わります。

(二の丸跡、織田信長本廟)

さらに進むと「本丸跡」があります。そこには背丈ほどの高さの石垣が並んでいます。
この部分は天守の穴倉(地階の部分)にあたり、その上に大きな天守がそびえていました。5層7階(地上6階地下1階)、高さ33m…前代未聞の超高層建築でした。

(本丸跡、天守台)

見るものを圧倒する城…。家康も息を吞んだことでしょう。
その天守が現存しないのは残念ですが、その天守の痕跡となる礎石が残っています。この礎石の上に天守の柱が立っていたと考えられます。

(礎石)

■摠見寺跡から仁王門へ

まだまだ石段の道は続きます。安土城の西側に信長が建てたのが「摠見寺」(そうけんじ)。
信長は近隣の社寺から多くの建物を移築して建立したようです。残念ながら安政年間に火災により本堂などほとんどが焼失、今は礎石のみが残っています。

(摠見寺跡)

そのすぐ近くには立派な三重塔が建っています。
こちらは摠見寺創建時に、信長が近江国甲賀の長寿寺から移築したものとされます。

(三重塔)

まだまだ歩きます。三重塔から石段を下りるとそこに荘厳な門がそびえ立ちます。「仁王門」です。
門内には金剛力士像が安置されています。こちらも摠見寺創建時に近江国甲賀から移築しました。

(仁王門)

相当歩きました…。それだけ広大な城郭だったということでしょう。
天守などが残っていないのは残念ですが、それがゆえに浪漫も広がります。果たして在りし日の安土城はどんな姿だったのでしょうか…。

しかし、信長が夢見た天下統一は、あと一歩のところで潰えることになります。
本能寺の変…。それについては、また次回の「夢中図書館 いざ城ぶら」で綴ることとしましょう。

■基本情報

名称:安土城跡
住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
アクセス:安土駅から徒歩で25分
営業時間:8:30~16:00 ※季節により変動あり

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