
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。
今回は、源平の英雄・源義経の足跡を追いかけて京の都へ…。「源氏ゆかりの京都」をぶら歩きします。
今日の夢中は、源氏ゆかりの京都「松原橋」(旧五条大橋)!牛若丸と弁慶、本当の決闘の舞台です。

■五条大橋の決闘
平治の乱で父を失い、幼くして洛北の鞍馬寺に預けられた牛若丸。
日々、仏道修行の傍らで密かに武芸を磨き、自らの牙を研ぎ澄ませていた少年は、やがて元服して源義経と名乗ることになります。
その義経の数ある伝説の中でも、最もドラマチックで人々の心を捉えて離さないのが、怪力無双の僧兵・武蔵坊弁慶との出会いでしょう。
怪力を誇る僧兵・弁慶は、千本の太刀を奪うという悲願を立て、京の街で夜な夜な通行人を襲っては999本の刀を集めていました。
そして、最後の1本を求めて五条の橋の上で獲物を待ち伏せていた弁慶の前に、夜霧の彼方から現れたのが牛若丸でした。
美しい横笛を吹きながら、どこか頼りなげに歩く小柄な少年・牛若丸。
弁慶はその腰に差した見事な太刀に目をつけ、愛用の巨大な薙刀を大きく振りかざして襲いかかります。
しかし、鞍馬山で修業を積んだ牛若丸は、軽やかな身のこなしで弁慶の攻撃をひらりひらりとかわします。
ついには橋の欄干の上にひょいと飛び上がって手を叩くと、弁慶はその場に頭を擦りつけて降参したのでした。
その底知れぬ武芸と器量に感服した弁慶は、「今より後は御家来、これ可愛がってくださんせ」と、牛若丸に生涯の服従を誓いました。
後に源平合戦で縦横無尽に駆け巡る、源義経と武蔵坊弁慶。その「最強の主従」は、まさにこの橋の上で誕生したのです。
■松原橋(旧五条大橋)
それでは、源平時代から現代へ、時を超えて流れる鴨川のせせらぎを聴きながら、伝説の決闘の地である「松原橋」をぶら歩きしましょう。
「えっ!五条大橋じゃないの…?」そう思われる方も多いでしょう。
実は、平安時代に「五条大路」と呼ばれていた通りは、現在の「松原通」でした。つまり、二人が相まみえたのは、現在の五条大橋ではなく、一つ北側にかかる「松原橋」だったのです。

これは、後に豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立する際、道路の架け替えを行ったため。移築された橋が「五条橋」を名乗ったたため、旧五条橋は「松原橋」と名を変えました。
平家全盛の京の街で、鞍馬山から降り立った少年・牛若丸と、乱暴者の巨漢・弁慶が出会った運命の決闘地…それがこの場所なのです。

さっそく、鴨川の川端から橋のたもとへと歩みを進めましょう。
現在の松原橋は、大洪水による倒壊を経て昭和10年(1935年)に架け替えられたコンクリート製の近代的な橋です。
かつての木造の面影はありませんが、橋の西詰にはその隠された歴史を静かに伝える案内板が立っています。

橋の真ん中に立ち、穏やかに流れる鴨川を見つめてみます。南を望めば、秀吉の造った現在の「五条大橋」を見ることができます。
当時はこの橋を東へ進むと清水寺へと至る重要な参詣道であり、清水坂へと続く非常に賑やかな都の目抜き通りでした。

しかし、その賑わいの裏で、この地はあの世とこの世の境界(此岸と彼岸)ともされました。
夜になると、生と死、光と影が交錯する不気味な静寂が漂う場所…。そんな畏怖に満ちた橋の上で牛若丸と弁慶は決闘したんですね…。

風が心地よく吹き抜ける現代の橋ですが、歴史のフィルターを通してこの空間を眺めると、一気に800年前の緊張感が蘇ってくるようでした。
今日の夢中は、源氏ゆかりの京都「松原橋」(旧五条大橋)!牛若丸と弁慶、本当の決闘の舞台でした。
ありがとう、松原橋! ありがとう、牛若丸と弁慶!
■基本情報
名称:松原橋
住所:京都市東山区宮川筋〜下京区松原通
アクセス:京阪電車「清水五条駅」より徒歩約5分








