源氏ゆかりの京都「蹴上義経地蔵」!16歳の義経、怒りと覚悟の"九人斬り"…地名に刻まれた伝説の地

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館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。
今回は、源平の英雄・源義経の足跡を追いかけて京の都へ…。「源氏ゆかりの京都」をぶら歩きします。

今日の夢中は、源氏ゆかりの京都「蹴上義経地蔵」!16歳の義経、怒りと覚悟の"九人斬り"…地名に刻まれた伝説の地です。

■源氏を辿る物語

承安4年(1174年)春、鞍馬寺を出奔した16歳の源義経は、金売吉次の手引きによって、奥州平泉へ向けて京を旅立ちました。
首途八幡宮で道中の安全を祈願した義経一行。彼らは京の東の境界である粟田口から、東海道を大津へと抜ける日ノ岡峠(九条山)に差し掛かります。

その行く手から、馬に乗った平家の武士・関原与一ら9人の一団が坂を下ってきました。
すれ違いざま、一団の馬の蹄が、水溜まりの泥水を激しく蹴り上げ、義経の晴れやかな旅装束を汚してしまいます。

しかし、平家全盛の世に増長する彼らは、謝罪の一言もなく嘲笑いながら通り過ぎようとしました。
これに義経の「源氏の血」が激昂します。「平家の無礼、断じて許すまじ!」
義経は瞬く間に刀を抜くと、電光石火の早業で関原与一ら9人全員をその場で斬り捨ててしまったのです…。

後にこの地で哀れな9人の死体を見つけた村人たちが、その菩提を弔うために「九体石仏」を安置しました。
異説では、9人を斬り殺した後、我に返った義経が自分の行為を悔やみ、村びとに菩提を弔うように頼んで旅を続けたとも伝えられます。

■蹴上義経地蔵

それでは、そんな若き義経の伝説も残る京都の史跡を訪れましょう。
向かったのは、京都の「蹴上」(けあげ)です。実はこの場所、義経が「馬に泥水を蹴り上げられた」ことにちなんで地名が付けられたとも伝えられます。

地下鉄東西線の蹴上駅を降りると、そこは東山から山科、琵琶湖方面へと抜ける緩やかな坂道となっています。
その途中、日向大神宮へと向かう石段を登っていくと、文化庁が認定する日本遺産「蹴上船溜」(けあげふなだまり)がありました。

滋賀県の琵琶湖の水を京都府へ引き込むために、明治時代に作られた全長約20kmにおよぶ人工の運河「琵琶湖疏水」。その停船場跡です。
この運河を築くにあたっては、当時21歳だった青年技師・田邉朔郎らが、外国人技師に頼らず自分たちの技術をもって、難工事をなし遂げたそうです。

日本の未来を切り拓くのは、いつの時代も試練に立ち向かう若者たちなのでしょう。
平安時代末、その青年技師よりもさらに若い16歳の源義経が、平家一門という大きな試練と最初に相対したのが、この蹴上の地です。

「蹴上船溜」のすぐ近く、見晴らしのいい高台に、瓦屋根のお堂がひっそりと佇んでいます。
そのお堂の中には、石造りの地蔵菩薩様が鎮座していました。これが、若き義経の戦いの記憶を留める「蹴上義経地蔵」です。

石仏の手前に置かれた石の花入れに目を凝らすと、そこには「義経大日如来」と刻まれています。
かつてこの地には9体の石仏が並んでましたが、時の流れとともに多くが散逸。奇跡的にこの1体が、ここ「蹴上」の地へと戻されたのだそうです。

のどかで美しい新緑の広がる現在の蹴上ですが、16歳の義経が、己の宿命と一族再興の覚悟を抱え、この地を超えていったのだと思うと、胸がアツくなりました。
今日の夢中は、源氏ゆかりの京都「蹴上義経地蔵」!16歳の義経、怒りと覚悟の"九人斬り"…地名に刻まれた伝説の地でした。

ありがとう、蹴上義経地蔵! ありがとう、源義経!

■基本情報

名称:蹴上義経地蔵
住所:京都府京都市左京区粟田口山下町
アクセス:地下鉄東西線「蹴上駅」より徒歩約3分
営業時間:24時間

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