城ぶら「聚楽第跡」!京都にわずか8年存在した幻の城。豊臣秀吉の「天下の夢」を辿る

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「聚楽第跡」!京都にわずか8年存在した幻の城。豊臣秀吉の「天下の夢」を辿る…です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

かつて京都に、豊臣秀吉が築いた豪華絢爛な城がありました。
それが、「聚楽第」(じゅらくてい、₋だい)。秀吉の栄華を誇る政庁兼邸宅です。

天正14年(1586年)、関白となった秀吉が京都の拠点として建設を開始。
僅か1年ほどで完成しました。屋根瓦には金箔が塗られ、贅を尽くした造りだったと言われています。
当時の秀吉の全盛を知らしめるように、天正16年(1588年)には後陽成天皇の行幸を迎えて、これを饗応しています。

天正19年(1591年)、秀吉は関白の職を甥の豊臣秀次に譲り、聚楽第も彼に引き継がれました。
しかし秀吉に実子(秀頼)が生まれたことで、秀次との関係が悪化。文禄4年(1595年)、秀次は高野山に追放され、そこで切腹しました。
その後、秀吉によって聚楽第は徹底的に破却されました。竣工から破却まで存在した期間は、わずか8年。そのため、聚楽第は「幻の城」と呼ばれています。

■城ぶらり

それでは、豊臣秀吉の栄華を誇った「幻の城」、聚楽第跡をぶら歩きしましょう。

聚楽第があった場所は、二条城よりも北、現在の京都市上京区一帯です。
しかし残念ながら、「城語り」に記載のとおり8年弱で破却されたため、明確な遺構は残っていません。

聚楽第の痕跡を今に伝えるのは、かつての聚楽第跡跡にひっそりと建てられた石碑です。
一つは、京都市上京区の大宮通沿いに立つ「聚楽第址」の石碑。ここは平安京大内裏の東の端。聚楽第が築かれたときは東濠でした。
1992年、その東濠の跡から聚楽第の屋敷に葺かれていた金箔瓦が見つかっています。

続いて、そこから西へ歩いて5分ほど、「此付近 聚楽第址」という石碑が建っています。
ここは、聚楽第本丸の西濠があったとされる場所。立て看板には、幅20~43m、深さ6~8mもの水を湛えた大規模な濠があったことが記載されています。

さらに、そこから南へ歩いて8分ほど、「此付近 聚楽第南外濠跡」という石碑があります。
この石碑が建つのは松林寺境内の西側。この辺りは平安宮内裏の建春門があった場所とされます。
ここ松林寺境内は周辺より一段低くなっていますが、これは聚楽第の南外濠があったことによると、立て看板に記載されていました。

果たして、かつての聚楽第はどれほど豪華絢爛な姿であったのでしょうか…。
建物が現存しないからこそ、想像力が大いにかき立てられます。今の京都の町の中に、秀吉の野望が透けて見える…そんな城めぐりはいかがですか?

今日の夢中は、城ぶら「聚楽第跡」!京都にわずか8年存在した幻の城。豊臣秀吉の「天下の夢」を辿る…でした。
ありがとう、聚楽邸跡! この後も秀吉ゆかりの京都を巡ります。

■基本情報

名称:聚楽第東濠跡
住所:京都府京都市上京区新元町222 大宮通
アクセス:地下鉄烏丸線「今出川」駅から徒歩19分
開城時間:24時間

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