こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、関ヶ原前哨戦「岐阜城の戦い」!信長の嫡孫・織田秀信立て籠もる激戦のあと…です。
■岐阜城の戦い
石田三成ら四奉行と毛利輝元が決起…。その報を受けて、家康は会津征伐を取りやめ、軍勢を西に向けることを決めます。
関東に参陣していた福島正則や山内一豊ら豊臣恩顧の武将らもこれに従い西進、ここに徳川軍を含めた関ヶ原「東軍」が形づくられます。
東海道を西進してくる東軍に対して、西軍に与した岐阜城主・織田秀信は木曽川沿いに陣を敷き、これを迎撃する構えを見せます。
しかし、池田輝政や福島正則ら東軍諸隊の木曽川渡河を防ぐことが出来ず、秀信軍は岐阜城に撤退、犬山城と大垣城に援軍を要請して城に立て籠もります。
しかし、犬山城は東軍に内応、大垣城からの援軍は東軍によって撃退され、頼みにした援軍は来ませんでした。
秀信は周りに兵が数十人になるまで抵抗しましたが、最後は池田輝政らに説得され降伏。こうして岐阜城はわずか1日で陥落しました。
■岐阜城と崇福寺
織田秀信は、天正10年(1582)年の清須会議で擁立された、織田信長の嫡孫・三法師です。
清須会議の折は幼少だった秀信も成人して、関ヶ原合戦を迎えるこのとき、岐阜13万石を有する大名となっていました。
秀信は、家康の会津征伐に従軍して出陣する予定でしたが、軍装を整えるのに手間取り出発が遅延…。
この間に石田三成から美濃・尾張2か国を与えるという条件で勧誘され、西軍に加勢したといいます。ちょっとお粗末な感じがしますね…。
(岐阜城)
結果は惨憺たるもの…。池田輝政や福島正則ら東軍諸隊に攻めたてられ、秀信が立て籠もった岐阜城は陥落(岐阜城の戦い)。
池田輝政らに説得され降伏した秀信は、剃髪して出家。関ヶ原の戦い終結後は高野山に送られました。
岐阜城の近くにある織田家の菩提寺「崇福寺」には、激しい戦いのあとが残ります。
それが本堂にある「血天井」。この戦いで落命した兵を弔うため、天井に岐阜城の床板が張られました。今でも血痕が付着しているのが見られます。
(崇福寺)
こうして、関ヶ原の前哨戦となった「岐阜城の戦い」は東軍の圧勝で幕を閉じました。
石田三成は、岐阜城がわずか一日で陥落するとは想定していませんでした。そのために対応が後手に周り、戦略を練り直さざるを得なくなったといいます。
いよいよ決戦のときが迫ります。徳川家康と石田三成の天下分け目の戦い…その行方はいかに。
続きはまた、当ブログ「夢中図書館 いざ城ぶら」にて綴ってまいります。
■基本情報
【岐阜城】
住所:岐阜県岐阜市金華山 天守閣18番地
アクセス:岐阜駅からバス乗車、「岐阜公園歴史博物館前」下車 ロープウェイ乗り場へ
営業時間:9:30~17:30(10月17日~3月15日までは16:30まで)
【崇福寺】
住所:岐阜県岐阜市長良福光2403−1
アクセス:岐阜駅からバス乗車、「長良川国際会議場北口」下車 徒歩3分
営業時間:(3月〜10月)9:00〜17:00 (11月〜2月)9:00〜16:30