
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「宇利城」!徳川家康の祖父が苦戦!"宇利城の戦い"の舞台を歩く…です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
宇利城が築かれたのは文明年間(1469年~1487年)。今川氏に属していた熊谷重実が築城したと伝えられます。
重実は、鎌倉時代に活躍した熊谷次郎直実の末裔とされる人物です。熊谷氏は足利尊氏の六波羅攻めに従い、その戦功として三河八名郡を賜りました。
この宇利城に目を付けたのが、西三河で急速に勢力を伸ばしていた松平清康(徳川家康の祖父)です。
清康は三河統一を目指して東三河へ侵攻。東三河の多くの武将がこれに従うなかで、宇利城主の熊谷実長(重実の子)は今川方として徹底抗戦を選びました。
享禄2年(1529年)清康は3千の兵を率いて宇利城に攻め寄せます(宇利城の戦い)。
しかし、三方を山に囲まれた天然の要害である宇利城はなかなか落ちませんでした。松平軍は主力の松平右京亮(清康の叔父)を失うなど苦戦します。
すると清康は、熊谷方の武将を調略し火を放たせ城内を混乱におとしめます。これにより城主の実長は逃亡、宇利城は落城しました。
この勝利により、清康は東三河を手中に収め、三河統一への道を大きく進めることになりました。
宇利城にはその後、菅沼氏や近藤氏が入城しました。徳川家康による遠江平定後、近藤氏が柿本城に居城を移した後は、その役割を終え廃城となったとされます。
■城ぶらり
それでは、「宇利城の戦い」の舞台となった宇利城跡をぶら歩きしましょう。
宇利城は東三河、現在の愛知県新城市にあります。
城と言っても、宇利城は山全体が城の縄張りを形成する典型的な中世の山城。山城恒例の山歩きによる城ぶらです。


さすがは天然の要害。急峻な山の地形がそのまま城の防御を形成しています。
山歩きの途中で、宇利城の戦いで命を落とした松平右京亮の墓がありました。松平清康の叔父ですね。壮絶な戦いであったことが偲ばれます。


そこからさらに山道は続きます。険しい山道に疲弊しますが、当時の武将たちも乗り越えたかと思うと足に力が入ります。
ところどころに曲輪や土塁とおぼしき跡もありました。一部に石垣跡も…。急峻な自然に加えて戦国の造形も施して守りを固めていたことが分かります。


歩き始めてから30分ほど…。へとへとになりながら、ようやく山頂にたどり着きました。
ここに立つと当時の城の規模を体感できます。この山頂に宇利城の主郭(本丸)がありました。今は広々とした空間が広がっています。


山頂の主郭跡には、2つの石碑が建っていました。一つは「宇利城址」の石碑。
もう一つは「熊谷備中守實長碑」です。攻め取った側ではなく、落ち延びた側の石碑が建つのも、なんだか趣深いように感じました。


こうして、かつて武将らが駆け巡った歴史の舞台に立ち、その歴史を体感できるのが城めぐりの醍醐味ですね。
特に山城は自然がそのまま残っているので、戦国のロマンにじっくり浸ることができます。今日の夢中は、城ぶら「宇利城」!徳川家康の祖父が苦戦!"宇利城の戦い"の舞台を歩く…でした。
ありがとう、宇利城! ありがとう、戦国の山城!
■基本情報
名称:宇利城跡
住所:愛知県新城市中宇利仁田
アクセス:新東名高速道路新城ICから車で30分









