小田原合戦「小峯御鐘ノ台」!北条氏の鉄壁ディフェンス"小田原城の総構え"

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、小田原合戦「小峯御鐘ノ台」!北条氏の鉄壁ディフェンス"小田原城の総構え"です。

■家康を辿る物語

天正18年(1590)、豊臣秀吉は20万もの兵を動員して小田原征伐を開始しました。
しかし、秀吉の全国統治に反感を抱く北条氏政・氏直父子率いる小田原勢は、早くからこれを迎え撃つ準備をしていました。

小田原周辺に支城を築城あるいは改修、それらにつながる城砦の整備も進めます。
そして何よりも、北条氏には天下の堅城・小田原城がありました。

小田原城は、上杉謙信や武田信玄すら攻め落とせなかった難攻不落の城です。
北条氏は秀吉来襲に備えて、その天下の堅城をさらに強固なものにすべく、拡大修築を進めました。

世に言う「小田原城の総構(そうがまえ)」。小田原城とその城下町を大規模な堀や土塁で囲って要塞化。
北条氏は小田原に籠城することを決定。5万6千もの兵を動員し、秀吉軍を迎え撃つ構えを整えたのでした…。

小峯御鐘ノ台

それでは、北条氏の誇る鉄壁の防御態勢「小田原城の総構」(そうがまえ)の跡をめぐりましょう。

「総構」とは、城のほか城下町一帯も含めて、外周を堀や石垣・土塁で囲んだ、日本の城郭構造です。
「小田原城の総構」は、北条氏が秀吉軍の襲来に備えて築いた大規模な総構の跡。小田原城とその城下を囲って総距離9㎞にも及ぶ堀と土塁が築かれ、小田原の城下町がまるごと要塞化されました。

その総構えの遺構が小田原城の北西部に残っています。それが「小峯御鐘ノ台」(こみねおかねのだい)。
ここを訪れると、八幡山丘陵の尾根を分断した大規模な堀切「小峯御鐘ノ台大堀切」を見ることができます。

この大堀切は、東堀・中堀・西堀の3本で構成されています。当時の様子が最もよく残っているのが「東堀」です。
写真で撮ると大きさが伝わらないのですが、これが圧巻の規模…。堀幅は20~30m、深さは10~15m。堀の角度は50~60度という急勾配で、空堀としては全国的にも最大規模です。

しかも土壌は、関東ローム層と呼ばれる赤土の粘土層。ツルツル滑って堀を這い上がることは困難。
所々に屈曲した「横矢掛り」(よこやがかり)も設けられていて、大軍を擁してもさぞ攻めにくかったことでしょう…。

この東堀はもともと小田原城の外郭の一部を成していましたが、中堀と西堀は秀吉による小田原攻めへの備えとして新たに築かれました。
西から攻め入る秀吉軍に備えたのでしょうね。「中堀」は、東堀をさらに強化するようにその外側に築かれています。

中堀は、折れ曲がって東堀に接続する複雑な構造を成しています。その両側に盛られた土塁に当時の様子をうかがい知ることができます。
一部は現在道路になっていますが、折れ曲がっている様子がよく分かります。なお、石積は安全のためのもので遺構ではないそうです。

そして「西堀」へ。こちらは市の所有地部分を散策することができます(隣接する私有地は不可)。
西堀は、小田原城の総構と一緒に造られたもので、今に残る堀と土塁は圧巻です…。

堀のなかには起伏部(畝)があります。これは、北条氏得意の障子堀の跡でしょう。
ただでさえ攻めにくいのに、この一画に踏み込んだ兵は、迎え撃つ北条軍に鉄砲や矢の格好の標的になったことでしょう…。

■三の丸新堀、稲荷森、山ノ神堀切

この小峯御鐘ノ台大堀切の近くに、小田原城の総構ゆかりの遺構を見ることができます。

「三の丸新堀」は、総構の一つ内側に位置する外郭。一部が総構と重なります。
北条時代の土塁の形状がよく残る「三の丸外郭新堀土塁」が公園として開放されています。

周囲は宅地化が進んでいますが、障子堀と思しき跡も見られて歴史ファンにはたまりません。
こうした土塁や堀跡を眺めていると、心は戦国時代に飛んでいきますね…。

小田原城の総構の中でも最も良好な遺構が残っている場所の一つが、「稲荷森」です。
小峯御鐘ノ台大堀切の西堀から続く場所に築かれた堀と土塁の跡。「総構 稲荷森」とも呼ばれています。

ちょうど総構の堀が地形に沿って弧を描いている様子が確認できます。
内側には、わずかに土塁の痕跡が残り、外側にも「掻き上げ土塁」と称する土塁の痕跡が確認できます。
堀の深さは約10m。いまは竹林が覆い茂り、幻想的な風景を醸し出しています。

さらに東に進むと、「山ノ神堀切」があります。こちらも総構の一画を形成していました。
今のところ発掘調査が行われていないため、本来の堀の規模は確認できていませんが、現状よりさらに深い堀であったと考えられています。

谷津丘陵の通行を制約するために設けられた堀切で、小田原城の北側を守る重要な役割を担っていました。
ここから、小田原城を見ることもできます。

これらは、いずれも大変貴重な遺構です。小田原城の堅城ぶりがよく分かります。
しかし、こうした総構も、圧倒的な兵力で押し寄せる秀吉軍を止めることはできませんでした…。
小田原合戦の行方については、また当ブログ「夢中図書館 いざ城ぶら」で綴っていきたいと思います。

■基本情報

名称:小峯御鐘ノ台大堀切
所在地:神奈川県小田原市城山
アクセス:小田原駅西口から徒歩で20分

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