城ぶら「備中松山城」!天守が今も残る天空の山城へ

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、天守が現存する唯一の山城、備中松山城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
備中松山城がどんな城なのか、ざっと見てみましょう。

築城は1240年。承久の乱で戦功のあった秋葉三郎重信が地頭としてこの地に赴任。
臥牛山に砦を築いたのが、備中松山城の始まりと言われています。

その後、時代とともに城主も変遷。
特に戦国期は備中松山城をめぐる争奪戦が繰り広げられます。

なかでも最大の山場と言えるのが、毛利対三村の備中争乱(1574~5年)。
このとき備中松山城を治めていた三村元親は、もともと毛利に与していましたが、毛利が宇喜多が同盟を結んだことから離反します。

三村元親にとって宇喜多直家は仇敵。元親の父は直家の刺客に暗殺されているんですね。
元親は備中松山城に籠城して戦いますが、敵は毛利軍8万。奮闘むなしく城は陥落。元親は自害しました。

その後、備中松山城は毛利家が支配しますが、こちらも関ヶ原で敗戦後は撤退。
小堀家、池田家、水野家などの城主を経て、幕府老中を務めた板倉家が入城。幕末まで当地を治めました。

■城ぶらり

JR備中高梁駅を降りて、市街地の北にそびえる臥牛山を眺めると、その山頂に小さくお城が見えます。
これが備中松山城。天守が現存する唯一の山城です。

山城ですので、登城の道は当然、山歩き。
シャトルバスで中腹のふいご峠まで行って、そこから天守をめざします。

息を切らしながら石段を登り、中太鼓の丸跡などの遺構をめぐって、ひたすら上へ。
ちなみに、この中太鼓の丸は、麓と天守の中継拠点。当時は太鼓で連絡を取り合っていました。

ようやく目の前に城壁が見えてきました。大手門跡です。

圧巻は、右手にそびえ立つ高石垣。
天然の岩盤の上に石垣を築き、さらに土塀が建てられています。まさに要塞…。

その要塞を囲う土塀。手前が現存のもので奥が復元されたものです。

■天空の山城

三の丸から二の丸に入ると、ついに天守が姿を現しました
真田丸のオープニングでも使用された壮観な出で立ち。

さらに本丸に入って天守を見上げます。
2層2階と建物自体は高くありませんが、標高430m。最も高いところに現存する天守です。

その姿は「雲海に浮かぶ天空の山城」として、全国的にも有名です。
雲海が発生するのは9月下旬から4月上旬の早朝。運がよければ、こんな絶景に出会えるみたいですよ。


(写真ACより)

天守内は、籠城戦を想定して、囲炉裏や装束の間などがあります。
2階には神棚が設けられていました。戦勝を祈願していたんでしょうね。

天守の北側には、2階建ての櫓が建っています。
こちらは二重櫓。城には14の櫓がありますが2階建ての櫓はこれだけで、天守に次ぐ重要な役割を担っていたと考えられます。

なお、この備中松山城の現在の城主(?)がこちら。
猫城主「さんじゅーろー」です。観光客のおもてなしに日々汗をかいています。

ありがとう、備中松山城!

■基本情報

名称:備中松山城
所在地:岡山県高梁市内山下1

アクセス:JR備中高梁駅からタクシーで10分、ふいご峠から徒歩で20分
営業時間:(4~9月)9:00~17:30、(10~3月)9:00~16:30
定休日:12月28日~1月4日
入館料:大人300円、小中学生150円

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