城ぶら「有岡城」!荒木村重、信長に反旗を翻す!織田軍を迎え撃った堅城跡へ

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「有岡城」!荒木村重、信長に反旗を翻す!織田軍を迎え撃った堅城跡へ…です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

天正6年(1578年)、摂津を任されていた荒木村重は、突如として織田信長に反旗を翻しました。
猜疑心、信長の能力主義への恐怖、本願寺や毛利氏ら援軍への期待…。その理由は諸説ありますが、定かなことは分かっていません。

信長は約5万の大軍で有岡城を包囲しますが、城下町全体を要塞化した総構えの城に、攻略は容易に進みませんでした。
膠着状態が続く中、信長は力攻めを諦め、調略に転じます。そして天才軍師・黒田官兵衛を説得に向かわせますが、村重は彼を監禁してしまいます。

一方で信長は、村重の主力武将である高山右近(高槻城)と中川清秀(茨木城)の調略を進め、これを降伏させることに成功します。
支城である両城が信長側へ寝返ったことで、有岡城は完全に孤立。本願寺や毛利からの補給路も断たれ、村重の勝利の可能性は消滅しました。

■城ぶらり

それでは、織田信長に反旗を翻した荒木村重の本拠・有岡城跡をぶら歩きしましょう。

兵庫県伊丹市、JR伊丹駅に降り立つと、目の前にそびえる巨大な石垣の壁…。
それこそが、かつて荒木村重が信長軍の猛攻を1年にわたって防ぎ続けた「有岡城」です。

もともとは、南北朝時代に摂津国人の伊丹氏によって建築された城(伊丹城)でしたが、戦国期に荒木村重が攻め落とします。
村重は城に大規模な改修を加え、「有岡城」と改名。城下町一帯を堀と土塁で囲む強固な「惣構え」の城郭を完成させました。

最大の見どころは、本丸の一画に静かにたたずむ石垣。1976年の発掘調査により、城郭としては最古の石垣であることが分かりました。
一部に墓石や五輪塔など転用石が使われています。かつては、これら石垣の壁が本丸を囲っていたのかもしれません。

同じく本丸跡には、有岡城の「礎石建物跡」が復元されています。
どのような建物があったかは分かっていませんが、村重ら家臣はここに詰めて、対信長の戦略を練っていたことでしょう。

同じように、「井戸跡」もいくつか見ることができました。籠城時には「水」は重要。
有岡城築城時に、信長に謀反を起こすことを想定していたわけではないでしょうが、こうした備えがあったから、強大な織田軍の猛攻を1年も耐えることができたのでしょう。

現在は公園となっている本丸西側には、かつての「土塁」と思しきうず高い土の塊を見ることができます。
また、公園の東側は伊丹駅となっていますが、こちらは本丸東側を掘削し線路を通したもの。当時の本丸はもっと東に広かったと考えられます。

駅前という最高の立地にありながら、そこは戦国時代の激烈な歴史が刻まれています。
「下克上の寵児」として池田城から飛躍した荒木村重が、最後に全てを賭けたのがこの有岡城でした。そしてその野望は悲劇的に潰えることになるのです…。

今日の夢中は、城ぶら「有岡城」!荒木村重、信長に反旗を翻す!織田軍を迎え撃った堅城跡へ…でした。
ありがとう、有岡城! 次回も、荒木村重ゆかりの史跡を訪れます。

■基本情報

名称:有岡城跡(伊丹城跡)
住所:兵庫県伊丹市伊丹1丁目12
アクセス:JR宝塚線「伊丹駅」下車、徒歩すぐ
開城時間:24時間営業

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