米沢ぶら歩き!名君・名将眠る「上杉家廟所」と「林泉寺」

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、米沢の街をぶら歩き。上杉家ゆかりの史跡をめぐります。

■上杉家廟所

江戸初期から上杉家が治めた山形米沢の街。
米沢城址をぶら歩きしたその後は、市街にある上杉家ゆかりの史跡をめぐりましょう。

まずはじめに訪れたのがこちら。「上杉家廟所」です。
米沢藩上杉家の歴代藩主が眠る墓所です。

中央正面奥にあるのが、戦国時代の名将、上杉謙信の廟です。
その遺骸は、上杉家の移封にともなって、越後春日山から会津若松、山形米沢へ移されました。

その謙信を敬い、その遺骸を運び、安置したのが2代(初代米沢藩主)景勝です。
苦難の生涯を歩んだ景勝の廟は、謙信の廟屋の向かって左にあります。

この地に眠っているのは、12代斉定までの米沢藩主です。
家祖・謙信を中央に、2代景勝から12代斉定まで、左右交互に廟が建っています

よく見ると、途中で廟の造りが変わっているのが分かります。
8代宗房までは格式高い入母屋造りで建てられていますが、9代重定からは簡素な宝形造りとなっています。

江戸時代後期、厳しい藩財政から、米沢藩は存亡の危機を迎えます。
この危機を救ったのが、10代治憲。隠居後に鷹山を号した、上杉鷹山です。

徹底的な質素倹約と新田開発等の経済振興策の断行で、藩再生を成し遂げました
廟屋を簡素な造りに変えたのも彼の判断でした。トップダウンじゃないと、なかなかできないですもんね…。

彼の言葉、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成さぬは人の なさぬなりけり」が有名ですが、他にも名言がたくさん。
なかでも、次期藩主・治広に申し渡した「伝国の辞」は金言です。

一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、「君主のために存在・行動する国・国民」ではない。
この三ヶ条を心に留め、忘れることのないように。

さすがは、故ケネディ大統領が、「日本で最も尊敬する政治家」として名を挙げた上杉鷹山
日本の政治家あるいは組織のリーダーの皆さんも、見倣ってほしいですね。
名君・上杉鷹山。彼もこの廟所に眠っています。

■春日山林泉寺

続いて訪問したのは、「春日山林泉寺」
上杉家の菩提寺で、藩主の奥方と一族、直江兼続をはじめとした重臣たちの墓があります。

林泉寺は元々、越後高田の春日山にありましたが、上杉家の移封にともなって、米沢の地に移りました。
謙信が幼少の頃、当寺に預けられて仏道に励み、長じて参禅し悟りの境地に至り、「不識庵謙信(ふしきあんけんしん)」を号するようになりました。

境内には、上杉家正室の墓所をはじめ、上杉家家臣たちの墓がたくさんあります。
景勝正室(武田信玄の娘・菊姫)、綱勝正室(保科正之の娘・媛姫)、治憲(鷹山)側室・お豊の方の墓などが並んでいます。

景勝を支えた重臣、直江兼続の墓所もあります。
苦難の上杉家を守り続けた名将。「愛」の兜で知られていますね。

その「愛」の名の通り、兼続は妻・お船の方との夫婦仲も良かったとされています。
兼続は、当時としては珍しく側室をもうけず、生涯ただ一人の妻として「お船の方」と添い遂げました。
墓所も、そんな夫妻を偲ぶように、2人の墓が並び建てられています。天国でもお幸せに…。

他にも、上杉伯爵邸や上杉博物館など、上杉家を偲ぶ史跡や文化施設があります。
米沢城址と合わせて、街をぶら歩きしてはいかがでしょうか。

ありがとう、上杉家廟所! ありがとう、春日山林泉寺!

■基本情報

【上杉家廟所】
名称:上杉家廟所:
所在地:山形県米沢市御廟1-5-30
アクセス:米沢駅からバスで15分
営業時間:9:00~17:00(受付は16:30まで)
料金:大人300円、高校生150円、小中学生80円

【春日山林泉寺】
名称:春日山林泉寺
所在地:山形県米沢市林泉寺1-2-3
アクセス:米沢駅からバスで15分
営業時間:9:00~17:00

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