城ぶら「臼井城」!上杉謙信も落とせなかった⁉戦国史にその名を刻んだ鉄壁の要塞

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「臼井城」!上杉謙信も落とせなかった⁉戦国史にその名を刻んだ鉄壁の要塞です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

臼井城の始まりは、平安時代末期に平常兼の子・常康(臼井六郎)が、この地に居館を構えたのが始まりと言われています。
当地は、印旛沼に注ぐ手繰川・鹿島川に挟まれた台地。水運の要衝であり、非常に重要な拠点でした。

室町時代から戦国時代にかけて、臼井氏は勢力を拡大していきますが、やがて戦国の荒波に飲み込まれます。
永禄4年(1561年)、臼井久胤の時代に、千葉氏の家臣で久胤の後見として入城していた原胤貞に城を奪われ、以降は原氏が城主となりました。

永禄9年(1566年)、 関東へ遠征してきた上杉謙信が、1万5千とも言われる大軍で臼井城を包囲しました。
対する臼井城(原氏)の兵はわずか2千ほど。 絶体絶命のピンチでしたが、軍師・白井入道浄三の巧みな指揮により、謙信軍を撃退
「軍神」と呼ばれた謙信に土をつけた数少ない城として、その名は歴史に刻まれました。

天正18年(1590年)、 豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅亡すると、臼井城も開城
その後、徳川家康の家臣が入城しましたが、慶長9年(1604年)頃に廃城となり、長い歴史に幕を閉じました。

■城ぶらり

それでは、軍神・上杉謙信を退けた要塞、臼井城をぶら歩きしましょう。
現在の千葉県佐倉市臼井田にあった平山城。現在は「臼井城址公園」として整備されています。

当地を訪れると、残念ながら建物等の遺構はまったく残っていません。
ただ、さすがは上杉謙信も落とせなかった城…土塁や空堀、土橋など鉄壁の防御の名残りを今に見ることができます。

臼井城は崖の上に築かれた城です。背後は断崖絶壁と湖(印旛沼)という天然の要害になっていました。
本丸跡に立つと、眼下に広がる印旛沼を一望できます。かつてはもっと近くまで沼が迫っていたと思われます。これは何とも攻めにくい城ですね…。

軍神・上杉謙信だけでなく、戦の天才と称される太田道灌も臼井城攻めに難儀しました。
道灌は享徳の乱の折、臼井城を包囲しますが、その攻略に7か月ものときを要しました。さらに打って出た城方と激戦となり、その戦で甥の太田資忠を失っています。
現在も臼井城の土塁の上には、太田資忠の墓が残されていました。

今日の夢中は、城ぶら「臼井城」!上杉謙信も落とせなかった⁉戦国史にその名を刻んだ鉄壁の要塞でした。
ありがとう、臼井城! 上杉謙信も太田道灌も苦しめた堅城でした。

■基本情報

名称:臼井城跡(臼井城址公園)
住所:千葉県佐倉市臼井字城之内
アクセス:京成臼井駅から徒歩20分
開城時間:24時間

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