
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「弘前城」!北の地にそびえる名城、壮大なスケールと津軽の歴史に触れる…です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
弘前城の歴史は、関ケ原の戦いで東軍についた津軽為信が、慶長8年(1603年)に高岡(のちの弘前)に本拠を移すことを企図したことに始まります。
もとの居城・堀越城は、城下への家臣団の集住が不十分で、家中騒動などでしばしば占拠されたりしたためでした。
初代・弘前藩(津軽藩)主となった為信ですが、城の完成を見ることなく京都で死去。城の建設は、為信の子で2代藩主となった信枚に引き継がれました。
信枚は慶長15年(1610年)から築城を再開すると、わずか1年1ヶ月という驚異的な速さで城を完成させました。
創建時には5層の天守がありましたが、寛永4年(1627年)に落雷のため焼失したとされます。
以後、200年近く天守のない時代が続きましたが、文化7年(1810年)に9代藩主・津軽寧親が三層櫓の新築を幕府に願い出て、現在みられる3層の天守を再建しました。
■城ぶらり
それでは、青森弘前のシンボル、「弘前城」をぶら歩きしましょう。
日本100名城に数えられる名城。いまは弘前公園として一般に開放されています。
弘前公園内には天守と5つの城門、3つの隅櫓が残され、国の重要文化財に指定されています。
なかでも天守は、現存12天守に数えられる歴史ある建造物。その堂々とした姿は、天守ファンならずとも惚れてしまうでしょう。


天守が建造されたのは江戸時代後期で、9代藩主・津軽寧親が隅櫓の名目で建てたとされます。江戸時代は新城の建造は許されませんでしたからね…。
現在、天守は石垣修理工事のため、天守を一時的に移動させる「曳家」という大掛かりな工事が行われています。
工事が終了したら元の場所に曳き戻すのだとか。奇跡のようなプロジェクトですね…。


奇跡のような絶景も楽しめます。城からのぞむ名峰・岩木山の姿は圧巻。
津軽氏の歴代藩主も遠望したことでしょう。天守と岩木山の風景や、堀に浮かぶ蓮との眺望など、美しく力強い景色と出会うことができます。


その他にも見どころ盛りだくさん。5つある城門はそれぞれ趣深く、見比べてみるのも一興。
「三の丸追手門」は堂々とした構えが印象的。4代藩主・信政の第二参勤交代経路が変更され、大手(正面)の門とされたのだとか。
一方、築城当初に大手(正面)の門だったのが「北の郭北門」。他の城門に比べて規模が大きく、銃眼がないなどの特徴を持っています。


(左:三の丸追手門、右:北の郭北門)
城門めぐりと同様に、3つある隅櫓をめぐるのも城ファンにはたまらないぶら歩きとなります。
「辰巳櫓」は、追手門から入城したときに最初に見える櫓です。歴代の藩主は、この櫓から三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列などを観覧したと伝わります。
「丑寅櫓」は、城郭に取りつく敵への攻撃や物見のために造られた櫓。防弾・防火のために土蔵造りで銅板葺きとなっています。


(左:辰巳櫓、右:丑寅櫓)
弘前城は、桜の名所として有名ですが、どの季節に訪れても、その壮大なスケールと津軽の歴史に触れることができます。
さらに現在進行形で城の修復が進んでいるのも見逃せません。皆さんも弘前城を訪れて、悠久の時を超えて残る城の魅力を肌で感じてみてください。
今日の夢中は、城ぶら「弘前城」!北の地にそびえる名城、壮大なスケールと津軽の歴史に触れる…でした。
ありがとう、弘前城! 日本100名城の一つでした。
■基本情報
名称:弘前城(弘前公園)
住所:青森県弘前市下白銀町1−1−1
アクセス:JR弘前駅前からバスで15分
開場時間:9:00~17:00(弘前さくらまつり期間中は7:00~21:00)









