城ぶら「脇本城」!東北の雄・安東氏が駆けた天空の要塞、日本海の絶景も

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「脇本城」!東北の雄・安東氏が駆けた天空の要塞、日本海の絶景も…です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

秋田県男鹿半島の日本海を望む高台にそびえ立つ脇本城(わきもとじょう)。
この山城の歴史は、鎌倉時代から戦国時代にかけて東北地方北部に勢力を張った安東氏(後に秋田氏)の興隆と深く結びついています。

脇本城の本格的な整備が進められたのは、16世紀中頃のこと。当時、二家に分裂していた安東氏を統一した安東愛季(ちかすえ)によって本拠地とされました。
愛季はこの脇本城を拠点に、北は津軽、南は仙北地方まで支配圏を拡大。さらに、織田信長や羽柴秀吉といった中央の権力者とも関係を築き、地方の豪族に過ぎなかった安東氏を、東北を代表する戦国大名へと押し上げました。

しかし、時代の流れとともに安東氏の勢力は衰退。それに伴い、脇本城も役目を終えることになります。
愛季の息子・秋田実季(さねすえ)の代に本拠がより平地に近い湊城に移され、さらに実季が常陸国宍戸への転封を命じられると、脇本城は完全に廃城となりました。

■城ぶらり

それでは、東北の雄・安東氏が駆け抜けた戦国の要衝「脇本城」をぶらり歩いてみましょう。

脇本城は、現在の秋田県男鹿市に位置し、続日本100名城にも選定されている名城です。
かつて戦国大名・安東氏が本拠とした堅固な山城で、訪れる人々に戦国時代の息吹を伝えています。

城跡に足を踏み入れると、まずその規模に圧倒されます。城のある丘陵地の面積は約150haもあり、東日本では有数の広さを誇ります。
その広い丘陵部の自然地形を巧みに利用して、複数の曲輪が構成されてるのが特徴的。それぞれが独立した防御機能を持ちながらも、全体として連携できるよう巧みに配置されているのが分かります。

標高100mの日本海に突き出すような丘陵部にあるため、眼下に広がる日本海の眺望は絶景です。まさに天空の要塞…。
もちろん戦国の城ですから、眺望を楽しむものではなく領地を守るのが主目的。今は眼下に男鹿の町が見えますが、往時は城下町が広がっていたことでしょう。

土塁や堀切も保存状態よく残っていますが、特に圧巻だったのは、城の防御の要「大土塁」です。
最大高低差は6mあり、幅も広く敵の侵入を阻む堅固な障壁となっていたことがうかがえます。こうした土塁が広大な城域に幾重にも築かれていて、難攻不落の要害という表現がふさわしい光景でした。

脇本城跡の麓には、城内へ通じていたとされる古道、通称「天下道」が残されています。
この道を通じて、城主が中央政権とつながったとも、日本海を介した交易を行っていたとも伝わります。
実際にこの道を歩いてみると、周囲の木々の静けさの中に、遠く昔の人々が行き交う足音が聞こえてくるような感覚に見舞われます。歴史ロマンが広がりますね…。

今日の夢中は、城ぶら「脇本城」!東北の雄・安東氏が駆けた天空の要塞、日本海の絶景も…でした。
ありがとう、脇本城! 続日本100名城にも数えられる秋田の隠れた名城でした。

■基本情報

名称:脇本城跡
住所:秋田県男鹿市脇本脇本七沢外
アクセス:JR脇本駅から徒歩35分、または車

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