
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「浪岡城」!北の地に残る南北朝の名門・北畠氏のあと…広大な中世の城跡です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
浪岡城(なみおかじょう)は、室町時代の応仁年間(1460年代)に浪岡北畠氏によって築かれました。
浪岡北畠氏は南北朝時代、後醍醐天皇を助けた北畠親房の子孫と伝えられています。
北畠氏は代々この地を治め、最盛期には浪岡城から津軽地方一円に勢力を伸長させました。
その宗家は「浪岡御所」とあがめられたとされます。城下町も栄え、京都から文化が伝わるなど、当地に「北の都」を形成しました。
しかし、永禄5年(1562年)に起きた親族間での争い(川原御所の乱)によって、北畠氏の勢力は大きく減退します。
天正6年(1578年)、津軽地方を統一しようと野望を抱く津軽為信によって攻められ落城。このとき城主の北畠顕村は自害、浪岡北畠氏は滅亡しました。
その後、浪岡城は津軽氏の治めるところとなりましたが、為信は本拠となる弘前城を築城。これに伴い浪岡城は廃城となりました。
■城ぶらり
それでは、青森に残る南北朝の名門・北畠氏のあと、浪岡城跡をぶら歩きしましょう。
続日本100名城にも数えられる浪岡城。その城跡は現在、史跡「浪岡城址公園」として整備されています。
訪れて驚くのは、その敷地の広大さ…。東西1,200m、南北600mの敷地を持ち、堀で分けられた8つの曲輪からできています。


(左:曲輪跡、右:北畠古城跡碑)
各曲輪は深い堀や二重堀によって隔てられており、曲輪ごとに住む場所を区別したり、守りを強化したものと思われます。
築城当時の堀は深さ5mほどあったのだとか。今はだいぶ浅くなって、各曲輪の間は橋で行き来することができます。


(堀跡に架かる橋)
全曲輪のなかで最も広いのが「北館」です。発掘調査で、ここに複数の建物や井戸があったことがわかりました。
現在は板塀で区画していますが、当時は何を使って区画していたか分かりません。迷路状の道を作ることで、本丸である「内館」までの通路を分かりにくくしたものと考えられます。


(北館)
その北館を抜けると、主郭にあたる「内館」に至ります。当時の城主の居館があった場所。
ここに代々の「浪岡御所」が居住していたのでしょうか…。いまは広大な草原。残念ながら往時を偲ぶ遺構は残っていません。


(内館)
他にも、猿楽が催されたとされる「猿楽館」や、浪岡城落城後一時代官所が置かれた「東館」…。
さらには、まだ調査がされておらず用途不明な「西館」など、曲輪めぐりを通じて中世の城の息吹を感じることができます。


(左:猿楽館、右:東館)
浪岡城の広大な敷地には、南北朝の名門・北畠氏の興亡の歴史が刻まれています。南北朝の戦乱を離れ、当地に勢力を張った浪岡北畠氏…。
「浪岡御所」と呼ばれるほど権勢を誇った同氏も、戦国期に台頭した津軽為信によって滅ぼされました。栄枯盛衰は歴史の常ですね…。
今日の夢中は、城ぶら「浪岡城」!北の地に残る南北朝の名門・北畠氏のあと…広大な中世の城跡でした。
ありがとう、浪岡城! 続日本100名城に数えられる北の地に残る城跡でした。
■基本情報
名称:浪岡城跡
住所:青森県青森市浪岡大字浪岡五所14−1
アクセス:JR浪岡駅から徒歩30分または車
開場時間:24時間
入場料:無料









