城ぶら「高島城」!かつて諏訪湖に浮かぶ城に思いを馳せて

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の城ぶらは、信濃国諏訪にある名城、高島城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

高島城は、長野県諏訪市にある平城です。
「続日本100名城」に認定されている石垣の美しい名城。諏訪市指定史跡になっています。

この高島城を築城したのは、豊臣秀吉の家臣・日根野高吉です。
1590年、豊臣秀吉が北条氏を攻略すると、それまで諏訪を治めていた諏訪頼忠を移封して、北条攻めに功のあった高吉に当地を与えます。

高吉は、諏訪の地に入ると、諏訪湖に突き出た島(高島)に新たに城を築くことを決めます。
1592年に普請を始め、1598年に完成したと言われています。当時は、波が石垣に打ち寄せ、諏訪湖に浮かぶように見えたので、「諏訪の浮城」と呼ばれました。

日本三大湖城にも挙げられていますが、江戸時代に諏訪湖の干拓事業が進められたために、湖城の面影は失われました。
なお、高吉が急死すると、日根野氏は下野国壬生藩に転封。代わって諏訪氏が旧領復帰を果たします。以後、高島城は諏訪氏の居城として明治維新まで続きました。

■城ぶらり

それでは、「諏訪の浮城」高島城をぶら歩きします。
目の前には、威風堂々とした天守がそびえ立ちます。こちらは1970年に復元された復興天守。
旧高島城は、しばらくは県庁舎として利用されましたが、1875年に破却・移築されています。

当時のつくりを復元した天守は威容抜群。
それもそのはず、築城した日根野高吉は織田信長と豊臣秀吉のもとで普請を経験。織豊系城郭として、石垣を築いて天守をつくりました。

高島城の内部は資料館となっていて、高島城ゆかりの史料が展示されています。
右手の像は、高島城を築城した日根野高吉像です。

最上階の展望コーナーからは諏訪市街を一望できます。諏訪湖が見えました。
天候がよければ富士山も見ることができまるのだとか。城主の皆さん、最高だったろうなぁ、戦がないときは…。

続いて、現在は高島公園として整備されている本丸跡へ。
築城時は、本丸、二の丸、三の丸が一直線に並ぶ「連郭式」と呼ばれる形態でつくられました。
当時の様子を思い浮かべながら公園を歩くのも、なんか楽しい。本丸御殿跡や高島城の藤、三の丸御殿裏門などを見ることができます。

城址の南にあるのが諏訪護国神社
諏訪名物(?)の御柱がどーんと建っていました。

本丸の表門にあたる冠木門(かぶきもん)。
冠木門とは、左右の柱の上部に一本の貫を通しただけの簡単な門のことですが、高島城を描いた絵図からは、屋根付きの門であったことが分かります。
当初は冠木門であったものが、後に楼門に建て替えられて、名前のみが残されたものと思われます。本丸の入口に相応しい立派な門ですね。

冠木門を出てお堀端へ。築城当時は、諏訪湖と数条の河川が周囲をめぐり堀の役割を果たしていました。
その「諏訪の浮城」を支える石垣は迫力満点の野面積み。地盤が軟弱なので、沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んでいるのだそうです。

諏訪湖に浮かぶ城を想像しながら、高島城天守をいま一度眺めます
天守は、独立式望楼型3重5階。屋根は瓦葺きではなく柿葺きであることも高島城の特徴です。これは、湖畔の軟弱地盤で重い瓦が使えなかったという説や、寒冷地である諏訪では瓦が凍み割れてしまうからという説があります。
それにしても勇壮な高島城。惚れ惚れしますね…。

さすがは、続日本の100名城に挙げられる名城、「高島城」。
諏訪湖に浮かぶ城に思いを馳せて、浪漫あふれる城ぶらを楽しんではいかがでしょうか。

ありがとう、高島城! ありがとう、諏訪の浮城!

■基本情報

名称:高島城
所在地:長野県諏訪市高島1丁目20-1
アクセス:JR中央本線上諏訪駅から徒歩10分
営業時間:9:00~17:30(10/1~3/31は16:30まで)
料金:大人310円、子供150円
休業:12/26~12/31

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