城ぶら「岸の砦跡」猪名野神社!荒木村重が築いた鉄壁の防衛ライン"有岡城総構え"

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「岸の砦跡」猪名野神社!荒木村重が築いた鉄壁の防衛ライン"有岡城総構え"です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

天正6年(1578年)、織田信長は約5万の大軍で有岡城を包囲しますが、攻略には1年もの歳月を要しました。
その理由は、荒木村重が作り上げた「総構え」にありました。それは、城だけでなく、城下町全体を巨大な堀と土塁で囲む「町ごと要塞化」の仕組みです。

その象徴とも呼べるのが、城下町内に配備された三つの砦(岸の砦・鵯塚砦・上臈塚砦)です。
村重は、防衛の要となる場所に強力な出城を築き、信長軍の接近を阻みました。

特に、有岡城の北端を固める「岸の砦」は、西国街道などの主要道路を眼下に収める防御の要衝。
ここに織田信長の嫡男・織田信忠らの大軍が押し寄せ、死守せんとする村重家臣・渡辺勘大夫らと激突。付近一帯は両軍合わせて多くの死傷者を出す、凄惨な激戦地となりました。

■城ぶらり

それでは、信長軍が攻めあぐねた鉄壁の防御線、有岡城の北を守った「岸の砦」跡をぶら歩きしましょう。

有岡城跡から北へ歩くこと約15分。静かな住宅街の中に、深い緑に包まれた「猪名野神社」が現れます。
ここが、かつて荒木村重が築いた「町ごと要塞化」の仕組み、3つの砦の一つ「岸の砦」があった場所です。

境内に足を踏み入れると、そんな砦があったとは思えない荘厳な雰囲気。中央には由緒ある本殿が鎮座しています。
現在の建物は江戸時代に再建されたものですが、904年創建という古社です。戦国時代、村重やその家臣たちも、この神社の神様に勝利を祈願したのでしょうか…。

しかし、境内の周囲を見渡すと、そこに戦国の砦跡を彷彿させる痕跡が見つけることができます。
境内を取り囲むように盛られた土の壁…。これこそが、荒木村重が築いた最強の防御ライン、有岡城総構えの土塁跡です。

有岡城の戦いでは、ここで織田軍と荒木軍が血で血を洗う激戦を繰り広げました。
神社の静かな雰囲気の中に、突如として軍事施設の荒々しさが顔を出す瞬間は鳥肌ものです。

両軍に甚大な被害を出したこの地こそ、信長を1年もの間手こずらせた有岡城の執念の象徴といえるでしょう。
今日の夢中は、城ぶら「岸の砦跡」猪名野神社!荒木村重が築いた鉄壁の防衛ライン"有岡城総構え"でした。

ありがとう、岸の砦跡! ありがとう、猪名野神社! 次回も荒木村重の戦いゆかりの城をめぐります。

■基本情報

名称:猪名野神社(岸の砦跡)
住所:兵庫県伊丹市宮ノ前3丁目6−1
アクセス:JR伊丹駅から徒歩13分
営業時間:24時間

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