
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「本佐倉城」!下総の戦国武将・千葉氏の居城、土塁と堀が織りなす"土の要塞"です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
本佐倉城は、室町時代から戦国時代にかけて、下総守護の千葉氏によって築かれました。
千葉氏は桓武平氏の流れを汲む名門で、鎌倉時代から下総国に大きな勢力を持っていた一族です。
元々、千葉氏の本拠地は千葉城(亥鼻城)でしたが、室町時代の内紛で居城の防衛が困難となり、より内陸の地に本拠を移しました。それが本佐倉城です。
築城したのは、千葉氏21代当主の千葉輔胤とされます。輔胤は、水陸交通の要衝であり、天然の要害となる台地上に、防御の仕組みを施した堅固な城を整備しました。
その後、本佐倉城は約100年、9代にわたって千葉氏宗家の本拠地として君臨します。
しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が起こると、千葉氏は北条方に味方したため、敗戦後に所領を没収。戦国大名としての千葉氏は滅亡しました。
その後、関東に入府した徳川家康の支配下となりますが、家康は本佐倉城を用いず、近隣に陣屋を築いて統治しました。
江戸時代に入り、家康家臣の土井利勝が当地に入ると、新たに佐倉城を築城。本佐倉城はその役割を終え、完全に廃城となりました。
■城ぶらり
それでは、下総で一大勢力を誇った千葉一族の本拠・本佐倉城(もとさくらじょう)を訪れましょう。
千葉県酒々井町と佐倉市にまたがる、戦国時代を代表する山城の一つ。続日本100名城の一つです。


本佐倉城は、「土の城」です。すべて土の造成によって構築された土塁や空堀、曲輪などが大規模に残っているのが特徴です。
城跡に足を踏み入れると、いきなり「模擬矢盾」の縦列が出迎え…。さすがは、東国で戦いを重ねた千葉氏の居城、まるで「土の要塞」です。


「土の要塞」をもっともよく象徴しているのが、東山虎口跡付近の土塁です。その高さと分厚さは圧巻…。
土塁の前に立つと、そのスケールに驚かされます。この上に櫓が建っていたら、さぞかし威圧感があったでしょう。外敵を寄せ付けないという千葉氏の強い意志が感じられました。


続いての圧巻の要塞は、台地の尾根を切って造られた巨大な空堀です。
10の曲輪から構成される本佐倉城は、曲輪と曲輪の間に深い堀をめぐらせています。
こちらも外敵を寄せ付けない千葉氏の意志の表れ。大きいものでは、幅20m、深さ数mにもなり、V字型に深くえぐられています。


そんな土塁と空堀で守られた曲輪は、今は緑の生い茂る平原。この日は、狐も見かけました。
戦国時代は、この広大な平原にも、甲冑で身を固めた武士たちが詰めたのでしょう。そんな戦国風景を想像すると、緊張感が走りました。


下総に覇を唱えた名門・千葉氏の歴史とロマンが詰まった本佐倉城跡。
石垣や天守閣はありませんが、土塁や空堀といった「土の要塞」をたっぷり堪能できる城でした。
今日の夢中は、城ぶら「本佐倉城」!下総の戦国武将・千葉氏の居城、土塁と堀が織りなす"土の要塞"でした。
ありがとう、本佐倉城! 続日本100名城の一つです。
■基本情報
名称:本佐倉城跡
住所:千葉県印旛郡酒々井町本佐倉781
アクセス:京成本線「大佐倉駅」または「酒々井駅」から徒歩約15~20分
営業時間:24時間








