秀吉の妹にして家康の妻「朝日姫」…運命を惑わされた女性ゆかりの京都・静岡の史跡

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、秀吉の妹にして家康の妻「朝日姫」…運命を惑わされた女性ゆかりの京都・静岡の史跡…です。

(朝日姫の墓のある瑞龍寺(静岡))

■朝日姫

家康の秀吉への臣従。そのかげにひとりの女性がいました。
その女性の名は、朝日姫(または旭姫)。秀吉の異父妹とも同父妹とも言われる実妹です。

家康をどうしても臣従させたい秀吉は、家康が築山殿を失ってから正室不在であることに着目。
妹の朝日を嫁がせ家康を妹婿にすることで、形式的な従属を強めようと考えました。

このとき朝日姫には夫がいましたが、それを秀吉は強制的に離縁させたとも言われます(諸説あり)。
天正14年(1586年)、大坂を出た朝日姫は浜松に入り、家康と正式に婚姻しました。その年はまさに、家康が上洛して秀吉に臣従した年でした。

朝日姫は婚姻後、駿河に居を構えたため駿河御前と呼ばれました。ただ、この婚姻は彼女の幸福には結び付きませんでした。
心労がたたったのでしょう…間もなく病にかかり死去。家康の元に嫁いでわずか4年、享年48歳でした。

■2つの墓所

家康と秀吉、2人の英雄の間で運命を惑わされた女性…。朝日姫はそんな女性と言えます。
家康との婚姻は、まさに政略結婚。彼女にとって望んだものではなかったでしょう。なんだか切ないですよね…。

その最期は、母・大政所の病気見舞いのため上洛したものの、自らも病を発して当地で身まかったとされます。
せめて、母に看取られて安らかな眠りであったと願いたい…。その亡骸は京都の東福寺に葬られました。現在の東福寺南明院に墓があります。

(朝日姫の墓/東福寺)

もう一つ、彼女が晩年過ごした駿河静岡の地に墓所があります。場所は賎機山のふもと、瑞龍寺(ずいりゅうじ)。
こちらは、亡くなった朝日姫の遺骨を分骨して弔った墓。墓の建立については、秀吉によるという説と家康によるという説の2つがあります。

(朝日姫の墓/瑞龍寺)

秀吉の妹として生まれたために数奇な運命を辿った(辿らされた)女性、朝日姫
ただ、彼女と家康の婚姻が、秀吉と家康の和議に繋がったのは事実。戦国の世を終焉させる役割の一つを果たした女性です。

今日は、秀吉と家康の間で運命を惑わされた女性、朝日姫ゆかりの史跡を辿りました。
朝日姫が繋いだ天下安寧の日々…。それが少しでも長く続くことを、多くの庶民が願ったはず。はたしてその後の天下はいかに?続きは当ブログで綴っていきます。

■基本情報

【東福寺南明院】
住所:京都府京都市伏見区深草正覚町21−4
アクセス:京阪「伏見稲荷」駅から徒歩15分

【瑞龍寺】
住所:静岡県静岡市葵区井宮町48
アクセス:JR静岡駅からバス、「材木町」下車、徒歩3分

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