
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「甲府城」!戦国から江戸そして現代へ…歴史をつなぐ石垣と絶景の天守台です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
甲府城の築城時期については諸説ありますが、天正11年(1583年)、徳川家康が家臣の平岩親吉に命じて縄張りを行ったのがはじまりとされます。
甲斐の雄・武田家が滅亡したのち、その旧領は徳川家康と北条氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられました。
甲府の地を先に押さえた家康は、その支配を固めるために甲府城の築城を企図したものと考えられます。
しかしその後、家康は豊臣秀吉に臣従。甲府の地は豊臣方大名が治めることとなります。
秀吉は、甲府を関東の家康に対する備えとして重視していました。そのため有力家臣の羽柴秀勝や加藤光泰、浅野長政・幸長らを城主として送り、これら豊臣方大名によって甲府城の本格的な築城が進められたと考えられます。
関ケ原合戦後、甲府は再び徳川の領地となります。江戸時代に入り甲府藩が立藩。家康の子・徳川義直が城主となり、城はさらに整備されました。
その後も徳川一門や柳沢吉保が治めるなど甲府の重要性は変わらず、のちに幕府の直轄地(天領)となりました。
明治時代に入ると、廃城令によって建物の多くが取り壊されました。現在は、残された城跡が舞鶴城公園として一般に開放されています。
■城ぶらり
それでは、戦国から江戸、そして現代へと時を歩んできた甲府城跡をぶら歩きしましょう。
山梨県甲府市の中心部、甲府駅からほど近い場所にある甲府城は、戦国末期から江戸時代にかけて甲斐国の政治・軍事の拠点として機能した平山城です。
現在、城の建物はほとんど残っていませんが、見事な石垣や復元された櫓など、当時の面影を感じることができます。日本100名城の一つです。
甲府城の魅力はなんといってもその石垣です。高く積み上げられた石垣は、野面積みや切石積みが見られ、築城技術の高さを物語ります。
石垣ファンはたまらない壮観な石積み…。この辺りを見ると、築城主については諸説ありますが、石垣造りに長けた豊臣方大名なのかなと思ってしまいます。


その高石垣のうえにそびえ立つのが「稲荷櫓」です。絵図や古文書などから築城当初の姿で平成16年に復元されました。
かつて本丸の南東隅にあった二層の櫓で、内部は展示施設になっており、城の歴史や出土品が紹介されています。


同じく復元されたのが「鉄門」(くろがねもん)です。こちらも絵図や古文書をもとに復元事業が進められ、平成25年に公開されています。
本丸と天守曲輪の境に建てられた重要な門で、築城当初から存在したと考えられます。復元されたその姿からも、不審者を寄せ付けない重厚さをうかがい知れます。


そうした石垣や櫓に守られた本丸内部には、これまた重厚な天守台が残っています。
石垣ファンにはたまらない野面積みなどの技法が施されており、築城当初のものとも指摘されます。
なお、天守閣があったかについては、なお議論や検証が進められています。一時的に天守が存在していた可能性を指摘する声も…。


天守台に登ると、甲府の街並みはもちろん、南アルプスの山々を一望することができます。天気が良ければ富士山も…。
ここに天守閣が建っていたら…と想像しながら景色を眺めるのも、城跡巡りの醍醐味ですね。今後のさらなる研究が期待されます。


今日の夢中は、城ぶら「甲府城」!戦国から江戸そして現代へ…歴史をつなぐ石垣と絶景の天守台です。
ありがとう、甲府城跡! 日本100名城の一つでした。
■基本情報
名称:甲府城跡
住所:山梨県甲府市丸の内1丁目5−4
アクセス:JR甲府駅から徒歩2分









