城ぶら「坂本城」!その野望も石垣も湖の底へ…明智光秀が築いた"幻の城"

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「坂本城」!その野望も石垣も湖の底へ…明智光秀が築いた"幻の城"です。

■城語り

坂本城は、明智光秀が織田信長の命により、焼き討ちで荒廃した比叡山延暦寺の監視と、琵琶湖の水運を掌握するために築いた城です。

築城は延暦2年(1571年)。織田信長による比叡山焼き討ちの直後に築城が始まりました。
築城を任されたのは明智光秀。光秀は、山と湖に挟まれた要衝の地に、当時最先端の技術を用いた石垣造りの城を築城しました。

光秀の近江支配の拠点として築かれた坂本城。かつては、壮大な天守があったとされます。
当時の宣教師ルイス・フロイスは、その威容に驚き「安土城に次ぐ豪華な城」と書き残しています。

光秀はここ坂本城を拠点に、近江の平定さらには丹波の攻略を進め、その権勢を大きく伸ばしました。
しかし天正10年(1582年)、光秀は本能寺の変を起こすと、その後の山崎の戦いで敗死。秀吉の時代となり、近江に大津城が築かれると、坂本城は役割を終え廃城となりました。

■城ぶらり

それでは、明智光秀ゆかりの坂本城跡をぶら歩きしましょう。

坂本城は、大津城築城の際に石垣などの資材が多く転用されたため、遺構はほとんど残っていません。
現在見られる主要な跡地としては、坂本城本丸があった場所の南側に「坂本城址公園」が整備されています。

園内には、「坂本城址」の石碑明智光秀像が建てられています。目の前には雄大な琵琶湖が広がります。
その場に立つと、本当に湖上に浮かぶように壮麗な姿をしていたんだろうなと、思いが巡って鳥肌が立ちました。

地上に一切の遺構を残さないため「幻の城」と呼ばれる坂本城ですが、琵琶湖の水位低下により、普段は湖底に沈む石垣が姿を現して話題となりました。
残念ながらこの日は渇水期ではなく、石垣を見ることはできませんでした。一部湖上に頭を出す石は、その礎石の一部かもしれません。

その近隣に、坂本城落城の際に命を絶った明智一族を供養する「明智塚」があります。
当時、坂本城を守っていた光秀の重臣・明智秀満は落城に際し、光秀の妻子を刺し殺し、自分の妻も刺殺した後、自刃したと伝わります。

壮麗な湖城として栄華を誇りながら、明智光秀の死と共に湖底に沈んだ坂本城
光秀はこの地でどんな野望を抱いたのか、そしていかなる思いで散ったのか…。明智光秀のロマンと悲劇を深く感じられる場所でした。

今日の夢中は、城ぶら「坂本城」!その野望も石垣も湖の底へ…明智光秀が築いた"幻の城"でした。
ありがとう、坂本城! ありがとう、明智光秀!

■基本情報

名称:坂本城址
住所:滋賀県大津市下阪本3丁目1
アクセス:JR「比叡山坂本駅」から徒歩20分

ブログランキングに参加しています

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Xでフォローしよう

おすすめの記事