こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、真田十万石の城下町、松代をぶら歩き。
真田家ゆかりの史跡をめぐります。
■城下町・松代
真田十万石の城下町、信州松代。
この前、町のシンボル・松代城を紹介しました。
※そのときの記事はこちら。
戦国期は、武田信玄と上杉謙信が激しい戦を繰り広げた松代ですが、江戸期は真田信之が入城すると、明治の廃藩まで真田家が十代にわたって当地を治めました。
初代の真田信之は、昌幸の子にして幸村の兄。関ヶ原の戦いのときに、父弟と袂を分かって徳川方に付きました。
大河ドラマ「真田丸」では、大泉洋さんが名演してましたね。
(真田邸に展示されている、大河ドラマ「真田丸」で使用された真田信之改名の書)
その真田家ゆかりの史跡が松代の街にはたくさんあります。
今日は、そんな真田十万石の城下町、松代をぶら歩きします。
■真田邸
まずは、松代城の近くにある史跡、新御殿(真田邸)。
松代藩9代藩主幸教が、義母・貞松院の住居として建てました。
明治以降は、真田家の私的住居となったので、「真田邸」と呼ばれています。
敷地は7,986㎡、旧大名屋敷の面影を現在に伝える貴重な史跡です。
邸内は、江戸時代にタイムスリップしたかのような佇まい。長い廊下を通って客間、居間、湯殿などが並びます。
信州の山々を見通せる日本庭園も美しい。
春には桜、秋には紅葉、四季折々の彩りと風情を楽しめる名園として知られています。
■長国寺
続いて、真田家の菩提寺・長国寺へ。
本堂の屋根の頂には、真田家の家紋・六文銭が刻まれています。
ちなみに、寺には似つかわしくない鯱(しゃちほこ)瓦。
これは、廃藩後に取り壊しとなった松代城から移設されたもので、丈が2mあるのだとか。
ここ長国寺には、真田家代々の藩主の墓所や真田幸村・大助親子の供養塔などがあります。
これら真田家墓所は有料拝観となっていて、本堂右側の建物で受付したら、係員が案内してくれます。
係員に導かれて、白土塀の中に入ると、最初に目に入るのが荘厳にして煌びやかな御霊屋。
これは、初代松代藩主・真田信之の御霊屋です。真田家は日光東照宮の造営に参加した縁で、その職人たちを呼んでこの建物をつくったのだとか。
たしかに、言われてみると、日光東照宮の面影がありますね。
(真田信之御霊屋)
その隣には、4代藩主真田信弘の御霊屋が建っています。こちらは比較的質素ですね。
なお、霊屋が造られたのは4代まで。以降は、財政負担も考えて造営を控えたようです。
なおなお、2代信政の霊屋は松代・林正寺に移築、3代幸道の霊屋は長国寺内の開山堂に移築されています。
(真田信弘御霊屋)
■真田家墓所
そんな御霊屋を通って、奥に進むと、そこに真田家墓所があります。
初代信之から代々の歴代藩主の墓、そして真田昌幸・幸村らの供養塔が並びます。
こちらが、初代信之の墓所。
昌幸・幸村の影で目立ちませんが、松代藩・真田十代の礎を築いた名君です。
(真田信之の墓)
その信之の父・昌幸、幸隆、信綱の供養塔がこちら。
いずれも戦国期の名将・知将として、真田の名を世に知らしめましたね。
(真田幸隆・信綱・昌幸の供養塔)
そして、信之の弟にして、歴史ファンに愛されるこの人、真田幸村。
この幸村とその息子大助の供養塔もありました。
(真田幸村・大助の供養塔)
幸村は、大阪冬の陣、夏の陣に、豊臣方として参陣し、家康を今一歩のところまで追い詰めたとされています。「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称される勇将ですね。
その息子・大助も父とともに出陣。功を挙げましたが、秀頼が切腹するとそれに殉死しました。享年は13歳とも16歳とも言われています。いたましいですね…。
(大英寺)
他にも、信之の夫人・小松姫の霊屋がある大英寺や武家屋敷町など、真田ゆかりの史跡がたくさんあります。
真田十万石の城下町・松代。時を超えて真田の時代にタイムスリップできる街あるきを存分に楽しみました。
ありがとう、松代! ありがとう、真田家!
■基本情報
【真田邸】
所在地:長野県長野市松代町松代1
アクセス:JR長野駅からバスで30分、長野ICから車で5分
営業時間:9:00~17:00
拝観料:大人200円 小中学生80円
【長国寺】
所在地:長野県長野市松代町田町1015-2
アクセス:JR長野駅からバスで30分、長野ICから車で5分
営業時間:9:00~16:00 水曜定休
拝観料(墓所):大人300円 小中学生200円