
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「篠山城」!圧巻の高石垣と豪華な大書院…豊臣勢力を分断する城です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
篠山城が築かれたのは慶長14年(1609年)。関ケ原の戦いからまだ10年を経ないときでした。
江戸幕府の開祖・徳川家康が、大坂の豊臣秀頼と西国の大名たちとの連携を断つための「軍事拠点」として、山陰道の要衝である丹波篠山に築城を命じたとされます。
築城は、幕府が全国の諸大名に命じて行わせる「天下普請」(てんかぶしん)によって行われました。
全国15カ国から20もの大名が動員され、わずか6ヶ月という短期間で完成したと言われています。
縄張は築城の名手・藤堂高虎が手掛け、石垣や堀を巧みに配置し、防御力が極めて高い城郭構造を作り上げました。
しかし、この堅固すぎる造りを見た家康が、「これ以上強固になると幕府にとって脅威になりかねない」と懸念し、天守閣の建設を途中で中止させたという逸話が残っています(諸説あり)。
初代城主には家康の庶子である松平康重が置かれました。その後、松平氏が3家8代にわたり城主を務めます。
江戸時代中期からは青山氏が6代にわたって城主を務め、幕末・明治維新を迎えました。いずれも徳川譜代の有力大名であり、この地が軍事・政治上の重要拠点であったことがわかります。
■城ぶらり
それでは、兵庫県単語篠山市にある篠山城跡をぶら歩きしましょう。日本100名城の一つです。
西国の要衝となるこの地に徳川家康が築城を決めたのは、関ケ原後もなお強大な力を持つ豊臣勢力を分断するためとされます。
縄張りを藤堂高虎、普請総奉行を池田輝政と、いずれも築城の名手が担当したことから、家康がいかにこの城を重要視していたかが分かります。
実際に当地を訪れると、要塞と呼ぶにふさわしい圧巻の高石垣に息を呑みます。
石垣は高さ約10mにも及び、そそり立つ威圧感はまさに堅城そのもの…。これには豊臣恩顧の西国大名たちも圧倒されたことでしょう。


さらに、石垣の技術的な美しさにも目を奪われます。さすがは築城の名手が手掛けた城です。
石垣だけでなく、堀が二重にめぐらされ、出入り口に馬出を設けるなど、防御に徹した城構えとなっています。


その堅固な造りから天守が築かれなかったという異色の歴史を持つ篠山城。天守がない代わりに目を引くのが、荘厳豪華な「大書院」です。
篠山城のシンボル。昭和19年(1944年)に火災で焼失しましたが、古写真や古図、発掘調査に基づき木造復元されました。


その規模は、京都の二条城二の丸御殿にも匹敵する大きさで、一大名の書院としては破格の豪華さを誇ります。
広々とした畳敷きの空間、藩主が座ったとされる「上段の間」の凛とした佇まいは、江戸時代の権威を感じられます。


さすがは、徳川家康が豊臣氏を封じ込めるために築いた堅牢な城。天守がなくとも十分に威圧感があふれます。
実際に、家康が懸念した通り、築城から5年後に大坂の陣が起きるのは皮肉というか慧眼というか…。
今日の夢中は、城ぶら「篠山城」!圧巻の高石垣と豪華な大書院…豊臣勢力を分断する城でした。
ありがとう、篠山城! 日本100名城の一つでした。
■基本情報
名称:篠山城
住所:兵庫県丹波篠山市北新町2−3
アクセス:JR篠山口駅からバスまたは車









