城ぶら「黒井城」!"丹波の赤鬼"赤井直正、明智光秀軍を迎え撃つ!

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「黒井城」!"丹波の赤鬼"赤井直正、明智光秀軍を迎え撃つ!です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

黒井城が歴史の表舞台に登場するのは戦国時代、赤井氏が城主となってからです。
なかでも武勇を誇ったのが、「丹波の赤鬼」「悪右衛門」と恐れられた戦国武将・赤井直正です。
直正は、黒井城を拠点に周辺勢力を次々と打ち破り、丹波地方を支配する一大勢力へと伸し上げていきました。

天正3年(1575年)、天下統一を目指す織田信長は、明智光秀に丹波平定を命じます。直正は、攻め寄せる明智軍に対して、天然の要害である城を生かし徹底抗戦
さらに、光秀軍に寝返ったはずの波多野秀治と謀って、明智軍を挟み撃ちにして敗走させました。後にこの作戦を「赤井の呼び込み戦法」と呼んでいます。

しかし、天正6年(1578年)に直正が病死すると、城の守りは一気に弱体化。
翌天正7年(1579年)、再び攻めてきた明智光秀軍の総攻撃を受け、ついに黒井城は落城しました。

■城ぶらり

それでは、「丹波の赤鬼」赤井直正の激戦のあと、黒井城跡をぶら歩きしましょう。

黒井城は、現在の兵庫県丹波市春日町の北にそびえる城山に位置します。
築城主は、建武年間に活躍した武将・赤松貞範。戦国時代に赤井直正が大規模な改修を施し居城としました。

自然の地形を生かした山城!ということで、山城恒例の登山がスタートです。
黒井城は別名「保月城」とも呼ばれます。「保月城址登山口」と刻まれた石柱を進んでいくと、すぐ先で通行禁止になりました。「倒木、落枝の危険があるため立ち入り禁止」とのこと…。

やむなく、こちらの登山口からのルートを断念。迂回路として案内されていた通称「急坂コース」に向かいます。
その名のとおり急坂の登山となりました。本丸まで800mの看板、さらにその先に続く急坂…。それでも必死に一歩一歩足を進めていきますが…。

なんと、こちらのルートも通行禁止でした。いわく、近年、黒井城の石垣の上に立って写真を撮る例が多発、貴重な遺構が擦り減るなどの事態が発生。
遺構保護のために立ち入り禁止にするとのこと。マナーはきちんと守らないといけないですね。

残念ながら山頂部の主曲輪には行けませんでしたが、城主が平時に政務を行ったとされる「下館跡」が山麓にあります。
現在は「興禅寺」というお寺が建っています。境内には、直正ら一族を弔う「萩野氏赤井氏歴代歴代一族供養塔」がありました。

一方で、歴史ファンには興味深い人物の史跡もありました。それが「春日局」(かすがのつぼね)。徳川家光の乳母、江戸城大奥の礎を確立した人物です。
彼女は、赤井氏の後、当地に入った明智光秀配下の名将・斎藤利三の娘。天正7年(1579年)、当地で春日局(幼名お福)が誕生しています。

(左:春日局出生地碑、右:お福(春日局)産湯の井戸)

歴史はつながりますね…。戦国時代から江戸草創期へ、重要な役割を果たした山城「黒井城」。
登頂はできませんでしたが、その天然の要害ぶりは見て取れました。今日の夢中は、城ぶら「黒井城」!"丹波の赤鬼"赤井直正、明智光秀軍を迎え撃つ!でした。

ありがとう、黒井城! ありがとう、「丹波の赤鬼」赤井直正!

■基本情報

名称:黒井城跡
住所:兵庫県丹波市春日町多田
アクセス:JR黒井駅から登城口(興禅寺)まで徒歩15分

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