
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、大坂冬の陣徳川家康本陣跡「茶臼山」!大坂城を震撼させた本丸に向けた砲撃です。

■家康を辿る物語
真田丸の戦いで打撃を受けた徳川軍でしたが、攻略のための準備を着々と進めていました。
淀川の流れを変えて水量を減らし自力で渡ることを可能とし、大和川のせき止めにも着手します。
さらに、諸隊に命じて毎夜三度、鬨の声を挙げて鉄砲を放たせ、城内の不眠を誘います。
これと合わせて、城内に降伏を促す矢文を送って守兵の動揺を誘います。いずれも籠城する豊臣方に心理的な圧迫を加えるものでした。
そして慶長19年(1614年)12月16日。徳川軍は大坂城への一斉砲撃を開始します。
大坂城の北方と南方に配備された大砲から、堀や城壁を越えて本丸や天守に向けて砲撃が放たれました。
本丸への砲撃により、淀殿の侍女8人に砲弾が命中、8人全員が死亡しました。
淀殿は当初「大坂城は10年でも持ち堪えられる」と籠城戦に自信を見せていましたが、凄惨な光景を見て和議に応ずることを決めました。
■茶臼山・徳川家康本陣跡
いよいよクライマックスを迎える大坂冬の陣。
今日は、徳川家康が本陣を置いた史跡、茶臼山「大坂冬の陣徳川家康本陣跡」を訪れましょう。


茶臼山は現在、その周囲一帯が天王寺公園として整備されています。
前方後円墳の一部とも言われる、標高26mの小さな山。ここに、家康は本陣を置きました。


大坂の陣開戦にあたり、家康はここ茶臼山で将軍秀忠と軍議を行ったとされます。
ちなみに、大坂方が籠城戦に入ったとき、秀忠は総攻撃を提案したのに対し、家康は和議を含めて戦わずして勝つことを考えろと諭したと伝わります。


実際に、家康の戦略は老獪でした。和議に向けた交渉を行う一方で、川の堰き止めや夜間の鬨の声・砲撃などで城方を精神的に追い込んでいきます。
とどめは、本丸に向けた大砲からの一斉射撃でした。大坂城の北方と南方に配備された大砲から大量の砲弾が本丸御殿に撃ち込まれました。
この砲撃により侍女らが亡くなるなど凄惨な光景を見た淀殿は、和議に応じることを決めたと伝わります。
こうして大坂冬の陣は、開戦から約1か月ほどして、豊臣方が条件をのむ形の和議を結ぶことで終戦を迎えました。
■基本情報
名称:茶臼山 大坂冬の陣徳川家康本陣跡
住所:大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1
アクセス:大阪メトロ「天王寺」駅から徒歩15分